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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(30)胡瓜

わたしは胡瓜がとても好きなので胡瓜を買った日は胡瓜のことをしばらく考えている。何故自分がこんなにも胡瓜が好きなのだろうということや、胡瓜ってどうしてこんなに美味しいんだろうとかそういうことです。

10年以上前のことだがわたしには胡瓜嫌いの友人がいた。彼女は胡瓜と西瓜が苦手であった。胡瓜は駄目よ。わたしは今でも胡瓜を見るとそんな風に言っていた彼女の困った顔を思い出す。

不思議なことだがたとえ彼女がどれだけ胡瓜を否定していたとしてもわたしの彼女への信頼と彼女との絆は揺らがなかった。少なくともわたしはそう感じていた。

彼女のためにご飯を作るとき、わたしは念入りに胡瓜を排除することにやぶさかでなかった。わたしは胡瓜も好きだが彼女のことも好きだったのだ。

今日はふと考えた。果たして彼女はわたしのことをどう思っていたのだろう。わたしは彼女の困った顔を見ながら自分だけ胡瓜のサンドイッチをニコニコと食べていたりした。おそらくあのとき彼女は胡瓜好きのわたしに嫌悪を抱いていたに違いない。

わたしは無作法だった。わたしは胡瓜を優先したのだ。あのとき胡瓜よりも彼女を大切にすべきだっただろうか。

今日は'胡瓜のキューちゃん'の作り方を読んでいる。3ヶ月も胡瓜を塩漬けにするやり方や4回茹でこぼすやり方など'胡瓜のキューちゃん'を作るには結構胡瓜を酷い目に遭わせるようだ。

ねえねえどうして胡瓜が嫌いなの?わたしは純粋に疑問を感じて胡瓜嫌いの彼女にそんな風に尋ねたことがある。そのときに彼女がなんと答えたのかを今は全く思い出せない。では果たして彼女は'胡瓜のキューちゃん'も嫌いなのだろうか。

きっと食べないだろう。彼女はストイックな人だった。そして自分の心に正直な人だった。周囲の人々に大人気ないとされようとも自分の皿に胡瓜が混ざってやしないかをチェックせずには居られない。彼女はそんな一生懸命な人だった。そういうところ。わたしは彼女のそういうところが好きだったのだ。