
9歳だとどこかで読んだことがある。その頃には社会性というものが自己の感覚に備わるのだそうだ。社会という日本語の単語は内容が曖昧で、何一つ言い得てはいないという論文を読んだことがある。ここで言いたいことは9歳くらいになれば、子どもというものは一般の人たちの日常がどんなものなのかがわかってくるらしいということだ。
9歳のわたしは凍りつくような毎日を送っていた。(なにもかも凍りついてしまっていたならむしろわたしは楽を出来たのかもしれない。)わたしは子どもだったけれど、自分の考えが社会を彷徨うということをはじめて経験した。恐怖、という人類史における命題が稚拙な思考を塗りつぶす。そよ風のように軽やかな、アタマの奥の方でサーと流れ落ちる爽やかな小滝のような、自明の地獄がわたしを捕らえたのだ。
そのような暮らしのなかでも、わたしは誰にも助けをもとめなかった。助けをもとめようにもわたしの側には人が居なかった。それは文字通りの独りぼっちである。わたしは両親や兄弟と手を繋いたことがない。誰かの布団に潜り込んで眠ったことということもない。わたしは有病の小児性愛者により梅毒に感染させられたかわいそうな子どもだったのだ。
わたしの両親はわたしを病院に連れて行くことを一切しなかった。在日韓国人だった両親と、在留許可を得たその子どものわたしには国民保険がなかった。有病の小児性愛者は死んだ。しかしわたしは死ななかった。とはいえ生きていたかは疑わしい。わたしのDIDの日々はそんなふうにしてはじまったのです。
マリ、エル、フライデー、うさお、パトリックはそのようにして生まれた。わたしが死んで彼らが生きた。わたしの63年間とはそういう日々だった。果たして生まれて来ないほうが幸せだったか。社会性は感染症のように脳内に広がって、そのような忌まわしい考えを起こさせた。




