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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

幾つかの治療法〜①薬物治療

パトナムは薬物治療を補助的治療と位置付けている。これがDIDには薬が効かないという定説である。柴山雅俊に至っては「解離への治療的接近」と題している。では「治療的接近」でない「接近」とはいったいなんだろうとふと考えたりする。

わたしの場合は薬物治療は時に有効だった。わたしを含めて多くのDID患者がクリニックの外来もしくは救急を初めて訪ねるタイミングは間違いなく日常に何らかの支障を来たしている。

症状は1人ひとり異なると思われる。わたしの場合は発熱である。だから内科のクリニックへ行ったし、抗生物質を投薬した。DIDの初期治療を広義に解釈して初診が内科であったという患者はわたしだけではないと思うけれどそれは違うだろうか。

現在わたしはかかりつけ医として内科と整形外科と精神科へ定期的に通っている。DID患者の疼痛症候群については別に書きたいと考えているが経験を積んだ内科医や整形外科医は、DID患者の初発の時期の痛みや発熱が、内臓もしくは骨または筋肉などの結合組織から来るメカニカルなものであるかどうかを見極めることが出来るはずである。

もちろん精神科領域の疾患からメカニカルな不具合を起こすことだって頻繁にあるのでここら辺はきっちりと区別すべきではないと思う。だからDID患者のざっくりとした臨床は「身体の方も悪いよ」とされるべきだと考えたりする。

さてなんやかんやで精神科治療が始まったときもDID患者の多くは初診からDIDと診断されることはとても少ない。そしてそれは推奨されない。どれだけメンタルの強い大人であっても「アナタ多重人格ですよ」と精神科で言われても絶対に受け入れられっこないだろう。頑張って受け入れたけどあとでやっぱり誤診だったなんてのはホント許されないことだと思う。

ということで良識も経験もある精神科医はこの人ひょっとしてDIDかな?と思っても初めのうちは「統合失調症」又は「境界性パーソナリティ障害」と診断することがじっさい的だ。それをあとになって誤診だったとくよくよ悩むDID患者はまず居ないとわたしは思う。

何故なら診断は疑いと銘打ったものだとしても治療を開始するにあたり何か病名は必要であるし、現在「境界性パーソナリティ障害」という診断名は使われていないかもしれないが「統合失調症」と「境界性パーソナリティ障害」とでは鑑別が容易い。患者は希死念慮や自殺企図を引き起こす気分障害を示しているかもしれない。やっちゃって病院に連れてこられることもある。

この状況の初診の患者をDIDと診断することは非現実的である。ここで薬物治療に懐疑的で向精神薬を投与しないなんて精神科医は逆に困る。患者本人も家族もとても疲れているだろう。少し休むために入院をすることも出来る。患者は深く眠るために点滴するかもしれない。それはけして的を外してはいないと思う。あとになって誤診だったと苦情をいうとしてもそれは病院側の人権侵害のシチュエーションに対してである。こうした標準的プライマリーケア云々ではないとわたしは思う。

模範的なDIDの治療はセルフコントロールだとわたしは考える。薬物治療は尚そう言える。

わたしは薬物に過敏に反応する体質である。効いたか効かなかったか。そんなことは本人にしかわからない官能的なものなのだ。なんなら本人にもわからない。効いてるような気もするしそうでないような気もする。

自分が治療を必要としている精神病の患者であることを患者自身が相対化して捉えられない限りセルフコントロールなんてものは無理だろう。「治りたい」「日常を取り戻したい」という強い願いがなければ行きつ戻りつの長きに渡る治療の日々は堪えられはしない。

わたしはDID患者である。なんとなく強い頭の薬を飲んでも眠る以外の改善はない。そんなことをわかってくれる主治医と2人、わたしの場合はまずは向精神薬の離脱を1年くらいかけて行った。

わたしは薬物を離脱してはじめて薬物治療に対する官能的評価を会得した。発熱も痛みもない。日常に冷静さを維持してはじめて薬物を体内に染み込ませたときのあの浮遊感や厭世的な景色を明確に言葉で表現できたといえる。

思えば自分でも薬に対する恐怖心を無闇に煽っていたかもしれない。治療に於ける薬物の働きはそれ以上でもそれ以下でもない。だからと言って補助的とは思わない。体力にも精神にも限界のある患者と患者の家族が病気と供に日常を保っていく勇気を培うまでの重要なサポートをするだろう。

柴山氏は「治療的接近」と書いたがDIDは薬物治療が必ずしも功を奏さず虚しくなる日々があることは事実である。

薬物治療有りきの精神科医は「治療的接近」イコール薬物治療ではない、と発想を変えるべきである。

薬物治療は幾つかの治療のひとつに過ぎない。