どんなことが治療を妨げるのか〜DID患者はどんなふうに信頼関係を学ぶのか
DID患者と診断されてもされていなくても日々の生活を侵食してくる様々な症状から回復していくには長いプロセスが必要となる。
わたしの場合、出生時からの長期間の解離のミラクルが孤立無援で生き長らえる唯一の手段であった。大人になり治療が始まる。たとえそれが回復を目指しているのだとしても、長い長い時間をかけてコツコツと積み上げてきた何かを取り崩していく。現実の建物がそうであるようにそれがただ粗悪だからという理由で即座に爆破して終わりというわけにはいかないのだ。手間をかけて解離構造を分解していく。そして使えるパーツは残すことも出来る。
DID患者にとって治療の妨げとなるものはたくさんある。大きく分けて妨げは2種類。患者の内面の要素、そして治療者に生じる対DID必至の難所であろう。
振り返ってみればわたしは何も35歳になるまで治療開始を待たされていたわけではない。もっと早くに治療を始めていればよかったと今さらどうにもならないことを思う日もある。
出生時から適切な養育を受けられなかったわたしは重度の愛着障害を患っている。愛着障害は根の深い病いである。愛着障害を主観的にひとことでいうならば”この世界にはわたししか居ない”ということである。
解離が脳内の生理的な反射から生じていることは専門家により十分に研究されている。わたしの場合おそらく、ごく普通に小学校でこの子は困った子だね、と大人の誰かが振り回されて手を焼く、みたいな好機と時期を幾度も逸してしまったのだろう。
そんな意味で適切な養育とはその子に特別にあつらえられたぴったりと寄り添ってくれる大人の存在だと言えるだろう。
新生児は生後6か月間で言語体系をほぼ習得するという。新生児を取り囲む大人が皆聖人君子である必要はない。しかし愛着障害を次第に患ってゆく子どもというのは、じつは日和見な対人関係をたっぷりと習得して歪んでゆくのだろう。
歪みは厄介だ。少々の歪みは見過ごされ易い。そして歪みはさらなる歪みを増幅する。歪んだパーツが廉直なものを構築することはない。地球の重力が必然であるように建造物の歪みはいつかはその建物を崩落させる。愛着障害は日和見な心の動きしか知らない。そしてそれが正しいとさえ考えている。
しかしやがていわば偽物だらけのマーケットのような敵か味方かの不明瞭なやりとりの非情さに良心が疲れを感じる瞬間が来る。愛着障害の子どもの扱いにくさは実はその子どもの良心機能の発達を示している。それは好機なのである。ピンチはチャンスというやつだ。
さて解離であるが解離はポスト愛着障害である。つまり愛着障害が発展し切って一周回って戻ってきた感じである。愛着障害を”この世界にはわたししか居ない”だとすれば解離はもう世界のことなどどうでもよいのだ。解離の脳はその子どもに”この世界から居なくなれ”と指令を出す。
わたしが辛苦に耐え35歳まで生きてきたことに勲章をくれようとしてもわたしは辞退したい。わたしは実はこの世界では35年も生きては来なかった。この世で見るもの聞くもの、情報の半分以上を自分のタイミングで遮断して進む。解離の手法は徹底している。
では解離障害を患っている人間はどんなふうに信頼関係を学ぶのだろうか。
わたしが35歳で治療をはじめたきっかけはわたしが大いなる厄介者になったことであった。不安神経症、強迫神経症、睡眠障害、パニック障害等、わたしは当初沢山の病名を付けられたが、ある時パズルのピースが揃うかのようにDIDという病名が浮かび上がったわけである。
DID患者が精神科外来患者の臨床像をフルスペックで持っているとはそういうことであろう。
わたしは適度に病院をたらい回された(自らドクターショッピングをしたかもしれませんが)がそのおかげで何度打たれても起き上がるゾンビのような今の主治医に出会うことができた。
DID患者にとって信頼関係とは大きな課題である。
細かな治療の手法も含めて今後しばらくはこの続きを書いてゆきたい。