解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

どんなことが治療を妨げるのか〜主導権を巡る争い

DID治療における主導権は常に患者の側にある。そもそも如何なる疾患に於いても患者は治療における自己決定権を持っているが、精神病はそれが一筋縄ではいかない。

少し考えればわかる事だ。統合失調症患者に昏迷や錯乱が生じるなら正常な判断力はそのとき失われているし重篤な鬱病の自殺企図は患者本人には辛い日常から解放される唯一の手段だと認識されている。

DID患者の特異性のひとつは、患者が普通の生活を営む、一見なんの問題も抱えていない人であるかのように見えることだ。中には普通でないとはいえDIDでありながら敏腕弁護士や政治家、医師として普通以上の才能を発揮している人々がいる事も事実である。

DID患者を疫学的に見極めるのはかえって不合理な作業になる。生後間もなくからの心的外傷の履歴を外来の初診申し込み用紙に書き込む患者などいないのだ。

DID患者であるという決めてとなる記憶は患者本人にも想起出来ない。

治療の自己決定権とは何もかもを患者が決定するという手続き上のプロセスを示すものではない。ましてや権利を侵害されたと後になって反撃するための切り札でもない。

わたしがそうであるがDID患者は自己評価が低い。過去にどれほど世間から評価された経歴があったとしても脳内の幾つもの扉を開け閉めしながら日々を過ごしていると、まともに考えれば考えるほどそんな自分を化け物としか思えない瞬間がやってくる。

モンスターとしての自分に健全で適切な尊厳を保つ秘訣のひとつはその場所から逃げないことだ。

いつもの如く不調の兆しがやってきた。不穏な雲行きを見て不安になるかもしれないが、有効な治療はいつもその地点から始まるのである。さて今日も会話を始めよう。わたしはため息をつき脈絡なく語りだす。ときに発する主治医へのちっぽけな嘘や虚勢も全て愛すべきわたしの実態に他ならない。

DID患者はモンスターではなく人間である。喜びも苦しみも普通に持っている。治療の主導権を持つとはそんな内面の感覚こそが治療に役立つのだと信じることでもある。

あるDID患者は幼い頃から幻聴があった。そして彼女の弟にも類似の幻聴があった。あるとき弟が言った。「お姉ちゃん、僕頭の中で声がするんだけど」姉は言う。「お姉ちゃんもあるよ、だから大丈夫」

彼女も弟もけして大丈夫ではなかったがその場所でそんな風にして踏ん張っていた。踏ん張ることは不可能ではない。治療の主導権は患者が持つべきである。まあその主導権を駆使して病院に沢山のお願いごとをしたら良いのである。