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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(10)律動

リズムという言葉は軽い。リズムでは良いと悪いとのどちらかになりますでしょう。良いか悪いかを見極めんとし、長いあいだわたしは目を凝らして物を見、耳をすましてじっと潜んでいた。

わたしは自分が見えている共同世界に含まれているとばかり思いこみ、わたしは外からのパルスを受け続けた。無防備に受け続ける。たとえしたたか打ち叩くようであっても、ときには長い時間虚空に晒されようともだ。そのようにしてやってくる外のリズムを取り込んだ。

とんとんとパルスを受け続ける。とんとんと萎縮と緊張は反復した。わたしは硬化した。厚い壁の中で次第に誰かの声は遠く細くなり、瞳の温かみも歪んで見えてはいたけれど、わたしはわたしを強い力で安定させていた。それがわたしの心の圧力壁であった。

ですからわたしは良いリズムを出せません。時々わたしは歌います。わたしは何かを発します。それはリズムとは言えないのかもしれないですが、わたしはそうやって生きてきたのです。一拍遅れの不細工なリズムで、人を驚かす怪奇で過剰な律動の連なりで今日まで生きながらえて来たのです。

芸術療法〜(9)形

編みビーズをはじめた。2号のテグスで2㎜のビーズの1㎜のビーズ穴を通す決まった単純作業の反復。4つのビーズを組み上げその四角を3×3すると四角ができあがる。

点を繋げてゆく。湾曲するテグスを一定の角度でそこにあるビーズに納めて進むのだ。ビーズはテグスを待っているし一方テグスはビーズを繋ぎたく。楽しい。なんて楽しい。

昨日街へ出てふらりと入った古書店内の棚を念入りに調べていたらびっくりするようなものを見つけた。30年前の日本でのFLライト展の図録だった。千五百円。速攻購入した。

FLライトの作った建物は歪で頭がくらくらするけれど昨日図録をパラパラしながら彼の描く絵を初めて見て建築家FLライトではない、なんだか他の誰かに出会った気がした。初期のフリーハンドのドローイングはお世辞にも上手とは言えない。

彼は何故建築家になり、仰々しいお金持ちの家などを沢山建てたのだろう。魅惑的で奇妙で一目で夢中になれる不思議な景色なら重たいコンクリートで立ち上げなくともそこら中に有る。

わたしは明治村の帝国ホテルの展示以来のFLライト嫌いだったはずだが古書店の図録のドローイングを見続けていたら彼の混乱に、矛盾に、作為に満ちた反復する線の交差に魅了されていった。

とどまることなく流動する形。スクエアビーズのフラクタルを今日も増殖させようではないか。水平線の両端をテグスで繋ぐのだ。

芸術療法〜(8)反復

数日前から江戸時代の絵師若冲の図録を模写している。若冲は八百屋だったので野菜や家禽を描いた。昨日から群鶏図を描いている。たくさんの鶏の頭を赤く色付けする作業はたいへん楽しいです。

色付けは軌跡を辿るのに似ている。何も考えずに塗り絵をする。物事の操作権を放棄してただひたすらに単純な反復をするだけ。繰り返しは気楽だな。繰り返しは幼稚か。そうであれば幼稚を許されていることをしみじみ喜ばしく思うのだ。

柴山雅俊はDIDを眼差しの病理と言ったがかつてわたしはこの世界の一員になりたかった。だから周囲の眼差しの全てに対応した。そのときにはもうそれらの眼差しは眼差し以上の力を持つまでになった。わたしは眼差しの虜だった。

人間の心地よさの方位はひとりひとり異なるが日和見で矛盾した狂った方位をわたしはそうやって築いた。わたしは諦めなかった。不安定も両極端も統一した。あるときあたかも赤道のごとく屈強な横線が脳内に引かれはじめる。ここから上は赤、ここから下は黒だ。そうだけして混ざってはならない。

わたしは真にひとりであった。わたしの水先案内をしてくれる水路も磁石も自分でつくるしかなかったのだ。

脳内の圧力壁の製作は外圧からの防御ではない。わたしがそこから漏れてしまわないように。わたしの赤が枯渇してしまわないように。わたしの心のはてな素粒子が出ていってしまって帰って来ないことの無いように。宇宙的数字に膨れ上がる素粒子たちの打ち返すその反復に耐えられるだけの強い圧力壁は、そんな感じでわたしの心の奥のほうにつくられた。

芸術療法〜(7)水色

わたしは何を求めて生きてきたのだろうか。わたしと外の世界を隔てる膜を通して、わたしはいったい何を見ていたのだろう。

一般的にDID患者は疎隔で離人、同一性が混乱しているとされる。しかしながら思い返してみればそれもこれも皆全ては一方的なわたしの側の物語なのだ。

それははじめ何かがずれて見えていた。それは一本の線の歪みに似た景色であった。その膜がわたしを護っていることが駆けだしたばかりのわたしの脳が見落とした一瞬。内と外の温度差にわたしは苛ついた。それは僅かな誤差である。そしてそれは何処にでもあるあらゆるものの存在の揺らぎである。

噛み合わない歯車にいらいらした拙い心が遮二無二に救済を求める。わたしは強かったのかもしれない。手折ってきたタンポポはやがて萎れてゆくけれどわたしはあきらめなかった。

誰でもいい。萎れていかない温かさのお手本が欲しかった。人間というテキストを見たかった。傍を通り掛かりふと存在に気付いて呉れ、ああ其処に居たのかと会釈してくれれば。わたしもそんなやり取りを習得出来たと。

ケミカルレースの余白を丁寧に塗る。水色で塗る。

そこには何も無い。膜の外。何も無い空間の世界をわたしはとっておきの水色で彩るのだ。

芸術療法〜(6)余白

プラウエンのケミカルレースはじっさいは刺繍作品で花も蔓も機械が描いている。ランダムに見えてもそこには法則性がある。酷く複雑な模様を謎解きしながら描いている。

ぱっと見は味気の無い冷めたような工業製品が安心なのはそれが決められた線で描かれた決められた顔の花たちだからだ。

花たちはみな一様に俯き加減。しかし立ち上がる花びらはそんなに柔ではなくポーズを決めて魅せる。次の段、花たちは一列に行儀よく斜め上を見ては首をかしげる。左右非対称の薄っぺらい花弁が風を受けて歪な弧を描く。ここは向かい風か?まるでラインダンス。脳内に刺繍針の軽快な機械音が響き渡る。

ペンと紙とわたし。線を繋げる、ただそれだけ。花たちはわたしに向かって微笑んだり憂いたり。花を描くことが愉しい。

ペンを置き、わたしは色鉛筆で色を塗った。花を塗り蔓を塗り手を止めた。少し考えて別の色を塗る。溶かして消えてしまう糸と糸のあいだのそこは余白だったのだけれど。

芸術療法〜⑸作為

人は何故絵を描いたり彫刻を拵えたりするのだろう。わたしは日常絵を描きたいという衝動を感じたことが皆無で絵画を鑑賞するべく出掛けていくこともなるべく避けて暮らしていた。

優れた絵画や彫刻作品からは作り手のエナジーが発せられている、という評価をする人がいる。そもそも芸術療法という概念もそうした解釈で成り立つセラピーだ。

DID患者の発する表象のひとつが世でいうところの芸術家然としている場合を除き、DID患者の表現は100%作為である。DID患者のわたしはたとえ思いつきの散文を書いたときにもまるで小説を書いているかのような薄気味悪さを拭いきれなかったし、無意識に自分の表現に作為の証拠を探す衝動が止まなかった。

作為を英語で言うと日本語的には不満が残る。作為とはランダムではないわざとらしさ。作為は英語ではアクトであるがアクティングアウトとは医療用語では精神病患者の言葉未満の心身症状である。違いますかね。

芸術療法を論じるこのわたしの言葉たちもまたわたしという脳内の作為に汚されている。

この数日ドイツプラウエンのケミカルレースをフリーハンドで描く作業に猛烈にやりがいを感じている。プラウエン地方のケミカルレースは1900年のパリ万博で世に知らしめたアール・ヌーヴォー(ドイツではユーゲント・シュティール)のその世界の片隅にいた。

この紋の起源はおそらくは何か植物の花弁で、モチーフを繋ぐ一本一本の細い線は蔓か、もしくは蜘蛛の糸に見えなくもない。

ケミカルレースは100%の作為であり、みも美しい工芸作品であり、わたしの脳内を魅了して止まない。フリーハンドで描く工芸の模写。

DID患者で作為で、と自分自身を貶めていた現実をありのまま認めたい。今後もそれで生きていくしそれしか出来なくてなんの不足か。たかが文章だ。

自分を許すことのなんと難しい。己を容赦することを単一に無様とした感性のきつく詰まった世界が解けていく。プラウエンの切手の図案のひとすじひとすじ。花弁を蜘蛛の糸で繋げている。

芸術療法〜⑷題目

お気に入りの何枚もの古切手は全て友人から貰ったものだが、眺めていて心地よいそれら小さな切手の図案は絵画のようだ。1枚1枚切手の模写する。そんなやり方の美術鑑賞である。

わたしの親たちは絵画鑑賞が好きで裕福になり先ず購入したものは世界美術大全という分厚い図録であった。そしてわたしはその図録をどれだけ眺めてもああこれはいいなと思えるものには1枚も出会えない。

親をがっかりさせてはならぬという判断がわたしの美術鑑賞へのアプローチを歪んだものにした。多大な賞賛を受けた作品は素晴らしい、いつの日かこれらを鑑賞する資格と能力が備わるはずだとわたしは信じた。わたしはあきらめなかった。

ヒトはひとたびその心に嘘を抱え込むならじわじわとすすむ脳の劣化を免れない。あるときわたしは美術館の展覧会で絵画を眺めていた。わたしは目眩と吐き気に見舞われた。誰か教えて欲しい、どこを見ればいい、何を考えれば感動はやってくる。わたしは誰構わず尋ねたい衝動に駆られていた。

題目は英語ではsubjectだがこの言葉には「落ちてくるもの」という意味合いがある。

絵画の価値や審美眼の有る無しを論じるつもりは無く、ただ言いたいことはわたしは長いあいだ待っていた。わたしに落ちてくるなにかを待っていたということである。

この数日ドイツのケミカルレースのシリーズを模写している。切手はチェコの国境近くのプラウエンの伝統工芸で1973年のものであるが、もちろんケミカルレースという分類やそれがドイツのものであるということも当初は全く知らずになんかいいなと眺めていた。

ケミカルレースの模写の直前にサンマリノ共和国の切手の麦の穂を描いていた。豊かに実った歩留まりの良いパン小麦。小麦の一粒一粒を楽しく描いた。まるで畑で収穫された小麦がわたしにパラパラと降り注ぐようだった。ようやく落ちてきた。待ち望んでいた。それはおそらくは初めてわたしに落ちてきた絵画なるものの題目だった。

芸術療法〜⑶嘘

いくつかの心を動かされる絵画や彫刻作品をじっくり鑑賞するとそれが痕跡や傷跡に似たものを発しているように思えることがある。それはただ単にわたしはそうした分野の作品に心を動かされる傾向を持っているという事実である。

白い紙に万年筆でジーっと線を描く。未だに模写だけを描くという習性を持つわたしは、自分の引いたその線が当たりか否かを瞬時に判断し、違うな、これは違うとなれば万年筆はホワイトインクで消すしかないので修正はじっさい手間である。

消しゴムで消えやすい柔らかい鉛筆の描く線はたいてい太くて正誤の見極めがし辛い。それでどうにか消しゴムで消せる硬い芯のシャープペンで細い線を描き、その上から万年筆でペン入れをする。複雑な図案の線画を描き進む。完成。切手等の模写は拡大しながら描き進む。完成してもこれはなんかどこか違うなという気味悪さが付き纏う。

1日数枚の古い使用済み切手を模写している。切手は楽しい。国や地域によってデザインに作風がある。切手は風が吹いたらパラリと飛んでゆくよな紙片である。しかしおそらくはこうして切手として印刷され販売されるまでには幾人もの人手が加わっているのだと考えるとそれはとても興味深い。

昨日わたしはシャープペンで完成した下書きを一旦全て消しゴムで消して何もない白い紙にした。そろりそろり慎重にシャープペンの下書き線をなぞるのがどうにも苛々したのだ。脳内の下書き記憶の痕跡を辿りつつ白い紙に万年筆でさっさと描き進むのは爽快である。

こんなに毎日絵を描くのは生まれて初めてのことかもしれない。日々模写の反復を続けていると脳内の緊張や集中が薄まりゆく心地よさがあった。天才でもない限り一発で嘘のない線を引き当てることなど出来ないという言い訳も湧いてきた。

昨日は魚を描いた。切手はポーランドのもので魚は鯉であった。魚を描くのは2匹目で、数日前に昭和の日本の切手の赤い金魚を描いた。

ポーランドの切手の鯉はその顔に歌舞伎役者風ペイント模様があり、わたしはひとすじひとすじにかつてない緊張を覚えた。この紋様のこのラインの角度の違いはこの魚の顔となるからだ。

鯉を描きながら数日前に描いた金魚を見る。もしもこの2匹を同じ水槽に入れたとして金魚はこの鯉を見るだろうか。初対面の鯉の印象はどんなものか。そんな馬鹿なことを考えてひとり苦笑する。

仕上がった鯉は屈強な印象の野性味に満ちた鯉。ポーランドの鯉など見たことはない。統一感に乱れはないが逆にまとまりが過ぎてそこら辺は嘘っぽく見えた。もう色も塗り終えてやり直しは出来ない。

もっとやり直したかったのは金魚の方だ。昭和の日本の金魚はポーランドの鯉と同じくらい強い魚に見えた。これは違う。昭和の日本の金魚の儚さや可愛さがまるで無いよなあ。

いつしかわたしは一本の線の正誤からは遠くかけ離れた世界にいた。わたしは金魚であり、すっかり金魚の気持ちになっていたのだ。ねえ描き直してよという昭和の金魚の声を聞いたのだ。

芸術療法〜⑵線を探す

今年の秋の沖縄旅行でわたしは毎日海を見た。満潮の海や漣の海、日の出やサンセット。わたしの滞在したうるま市勝連は太平洋に突き出した半島で、景色の何処かに常に海が紛れ込んでいる場所だった。

海には心が癒されると言う人はとても多い。果たしてそうだろうか。わたしの心はそんなに簡単ではない。わたしにとっての初めての海は幼児の時に親族で行った海水浴だ。わたしはそこで砂浜を練り歩く吹奏楽団を見、長い間わたしにとって海の記憶はマーチングバンドの記憶であった。記憶はそれ自体は正直なものだ。そしてDIDの脳は1度に1枚しか撮れない日光写真。不便な脳。あのマーチングバンドの海とここ数年の沖縄の海の記憶は1枚1枚が並列に平板に脳に取り込まれている。

今では白い紙に一本の横線を引いて水平線と言うとそこには瞬く間太平洋が現れる。幾日も海を見続けるという体験をすればきっと誰でもそんな魔法を身につけることが出来るのではないだろうか。

サヴァン症候群という脳の故障がある。サヴァンと聞くと天才的に絵画を描く人という解釈をしがちだがサヴァン症候群はひとりひとり個体差のある脳の損傷である。わたしの子ども時代サヴァン症候群だと褒めそやす大人にわたしは出会えず、わたしはひとくくり変な子どもという扱いであった。自分の感性の制御出来る部分とそうでない部分を幼い経験から不器用な操作をし、どうにか普通のフリをし続けることがわたしに課せられていた。

サヴァン症候群もまた当事者でしか知り得ない辛酸がある。わたしの描く絵は評価されなかった。わたしは平板な版下のような線画を描くことを好んだからだ。

芸術療法は絵画作品の評価とは別次元のものである。そんな序章の言葉をこうしてここに書くだけでわたしは気持ちが楽になる。小心者だと笑われるかもしれないがこればかりは真実なので他に言いようがない。

わたしの絵画が評価されなかったもう一つの理由はそれが著しい模写だったからだ。子ども時代のわたしはひたすら見たものの線を取り込んだ。子どもらしいあどけなさや生き生きと溢れ出る赤や黄色の色合いはそこにはない。わたしは一本の線を歪みなく描くことに神経を集中させる。一本の線の歪みに過敏に反応するわたしを親や教員が'歪んだ子ども'と捉えた光景は今はなんとも滑稽に映る。

さて芸術療法に戻ることにしよう。さあ線を取り込もう。わたしは自分にこんな言葉を掛けてはすべてのものを好ましく眺め模写をするのだ。

一本の線を描く勇気。画用紙の一本の横線は水平線である。遠い昔のマーチングバンド。わたしの海は今は凪いで友人や家族の笑い声がきこえる。一本の線を描く。こんなことが自己開示だと言ったら芸術療法の専門家たちはわたしを笑うだろうか。線を描くことのなんと快感なことか。だから大丈夫、無理解も困惑も大歓迎。どうぞ笑ってやってくれ。

芸術療法〜⑴鬼胎として

鬼胎という言葉は聞き慣れない。鬼胎とは文学用語ではなく医学用語で、不健全な増殖をする胎細胞を指す。

DIDの自己開示を妨げる力動はたいへん強い。それを発するな、それを他人に告げるな。その警告は内なる声であり、わたしはわたしのその声のはじまりがいつからのものであるかを思い出すことが出来ない。

一般的な芸術療法の手法は優しい雰囲気を持つ。自由に、または思いつくままに。これは評価ではない、貴女は何を描いても良いのです。

DIDの全ての自己開示は偽りである。じっさいは本人にもそれが嘘だということがわからないのだ。自由にありのままにと言われてふっと出てきたものが極めて本物らしい偽りだったのだ。

治療者は患者をDIDであると診断したならば、DIDの発する自己開示を先ずは疑うのがいい。DIDは自分を隠して生きてきたからだ。鬼胎としての己。DID患者はお前は生まれてきてはならなかった、という強い声にのみ牽引され生き長らえてきた。

じっさい芸術療法は至る所で採用されている。例えば学校の美術の授業で教員は時折教科書を見ないで、などと言うが(それは模倣をしないで、という意味合いだが)、こうした要求に不自由な脳で立ち向かうことを繰り返してきたDIDは少しの偽りを混ぜた即席の自己開示の反復により自分自身をも欺かれている。

芸術療法の目標は自己開示であり正しい自己開示は自己と世界を正しく繋ぐ。

たとえ生まれ落ちた瞬間から鬼胎として生かされて来たのだとしてもこう見えてもわたしは命を持つ1人の人間なのである。

様々な経緯で木彫り熊を手習いしている。彫刻刀を持つ前に熊の絵を描く。熊の顔。熊の耳。熊の背中。熊を描く。一本の線を描く。ある時わたしは溢れる涙を抑えられず、いったい脳の中で何が起きたのかのだろうかといろいろなことを考えた。

わたしにとって熊は鬼胎としてのわたしの真実であった。

熊はダメ。今はそんな声と折り合いをつけるべく、見るだけなら、とFacebookで熊の写真を時々見ている。自由に、思いつくままに。熊を脳内に放し飼いにするかのようにである。