解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜⑵線を探す

今年の秋の沖縄旅行でわたしは毎日海を見た。満潮の海や漣の海、日の出やサンセット。わたしの滞在したうるま市勝連は太平洋に突き出した半島で、景色の何処かに常に海が紛れ込んでいる場所だった。

海には心が癒されると言う人はとても多い。果たしてそうだろうか。わたしの心はそんなに簡単ではない。わたしにとっての初めての海は幼児の時に親族で行った海水浴だ。わたしはそこで砂浜を練り歩く吹奏楽団を見、長い間わたしにとって海の記憶はマーチングバンドの記憶であった。記憶はそれ自体は正直なものだ。そしてDIDの脳は1度に1枚しか撮れない日光写真。不便な脳。あのマーチングバンドの海とここ数年の沖縄の海の記憶は1枚1枚が並列に平板に脳に取り込まれている。

今では白い紙に一本の横線を引いて水平線と言うとそこには瞬く間太平洋が現れる。幾日も海を見続けるという体験をすればきっと誰でもそんな魔法を身につけることが出来るのではないだろうか。

サヴァン症候群という脳の故障がある。サヴァンと聞くと天才的に絵画を描く人という解釈をしがちだがサヴァン症候群はひとりひとり個体差のある脳の損傷である。わたしの子ども時代サヴァン症候群だと褒めそやす大人にわたしは出会えず、わたしはひとくくり変な子どもという扱いであった。自分の感性の制御出来る部分とそうでない部分を幼い経験から不器用な操作をし、どうにか普通のフリをし続けることがわたしに課せられていた。

サヴァン症候群もまた当事者でしか知り得ない辛酸がある。わたしの描く絵は評価されなかった。わたしは平板な版下のような線画を描くことを好んだからだ。

芸術療法は絵画作品の評価とは別次元のものである。そんな序章の言葉をこうしてここに書くだけでわたしは気持ちが楽になる。小心者だと笑われるかもしれないがこればかりは真実なので他に言いようがない。

わたしの絵画が評価されなかったもう一つの理由はそれが著しい模写だったからだ。子ども時代のわたしはひたすら見たものの線を取り込んだ。子どもらしいあどけなさや生き生きと溢れ出る赤や黄色の色合いはそこにはない。わたしは一本の線を歪みなく描くことに神経を集中させる。一本の線の歪みに過敏に反応するわたしを親や教員が'歪んだ子ども'と捉えた光景は今はなんとも滑稽に映る。

さて芸術療法に戻ることにしよう。さあ線を取り込もう。わたしは自分にこんな言葉を掛けてはすべてのものを好ましく眺め模写をするのだ。

一本の線を描く勇気。画用紙の一本の横線は水平線である。遠い昔のマーチングバンド。わたしの海は今は凪いで友人や家族の笑い声がきこえる。一本の線を描く。こんなことが自己開示だと言ったら芸術療法の専門家たちはわたしを笑うだろうか。線を描くことのなんと快感なことか。だから大丈夫、無理解も困惑も大歓迎。どうぞ笑ってやってくれ。