解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜⑵線を探す

今年の秋の沖縄旅行でわたしは毎日海を見た。満潮の海や漣の海、日の出やサンセット。わたしの滞在したうるま市勝連は太平洋に突き出した半島で、景色の何処かに常に海が紛れ込んでいる場所だった。

海には心が癒されると言う人はとても多い。果たしてそうだろうか。わたしの心はそんなに簡単ではない。わたしにとっての初めての海は幼児の時に親族で行った海水浴だ。わたしはそこで砂浜を練り歩く吹奏楽団を見、長い間わたしにとって海の記憶はマーチングバンドの記憶であった。記憶はそれ自体は正直なものだ。そしてDIDの脳は1度に1枚しか撮れない日光写真。不便な脳。あのマーチングバンドの海とここ数年の沖縄の海の記憶は1枚1枚が並列に平板に脳に取り込まれている。

今では白い紙に一本の横線を引いて水平線と言うとそこには瞬く間太平洋が現れる。幾日も海を見続けるという体験をすればきっと誰でもそんな魔法を身につけることが出来るのではないだろうか。

サヴァン症候群という脳の故障がある。サヴァンと聞くと天才的に絵画を描く人という解釈をしがちだがサヴァン症候群はひとりひとり個体差のある脳の損傷である。わたしの子ども時代サヴァン症候群だと褒めそやす大人にわたしは出会えず、わたしはひとくくり変な子どもという扱いであった。自分の感性の制御出来る部分とそうでない部分を幼い経験から不器用な操作をし、どうにか普通のフリをし続けることがわたしに課せられていた。

サヴァン症候群もまた当事者でしか知り得ない辛酸がある。わたしの描く絵は評価されなかった。わたしは平板な版下のような線画を描くことを好んだからだ。

芸術療法は絵画作品の評価とは別次元のものである。そんな序章の言葉をこうしてここに書くだけでわたしは気持ちが楽になる。小心者だと笑われるかもしれないがこればかりは真実なので他に言いようがない。

わたしの絵画が評価されなかったもう一つの理由はそれが著しい模写だったからだ。子ども時代のわたしはひたすら見たものの線を取り込んだ。子どもらしいあどけなさや生き生きと溢れ出る赤や黄色の色合いはそこにはない。わたしは一本の線を歪みなく描くことに神経を集中させる。一本の線の歪みに過敏に反応するわたしを親や教員が'歪んだ子ども'と捉えた光景は今はなんとも滑稽に映る。

さて芸術療法に戻ることにしよう。さあ線を取り込もう。わたしは自分にこんな言葉を掛けてはすべてのものを好ましく眺め模写をするのだ。

一本の線を描く勇気。画用紙の一本の横線は水平線である。遠い昔のマーチングバンド。わたしの海は今は凪いで友人や家族の笑い声がきこえる。一本の線を描く。こんなことが自己開示だと言ったら芸術療法の専門家たちはわたしを笑うだろうか。線を描くことのなんと快感なことか。だから大丈夫、無理解も困惑も大歓迎。どうぞ笑ってやってくれ。

芸術療法〜⑴鬼胎として

鬼胎という言葉は聞き慣れない。鬼胎とは文学用語ではなく医学用語で、不健全な増殖をする胎細胞を指す。

DIDの自己開示を妨げる力動はたいへん強い。それを発するな、それを他人に告げるな。その警告は内なる声であり、わたしはわたしのその声のはじまりがいつからのものであるかを思い出すことが出来ない。

一般的な芸術療法の手法は優しい雰囲気を持つ。自由に、または思いつくままに。これは評価ではない、貴女は何を描いても良いのです。

DIDの全ての自己開示は偽りである。じっさいは本人にもそれが嘘だということがわからないのだ。自由にありのままにと言われてふっと出てきたものが極めて本物らしい偽りだったのだ。

治療者は患者をDIDであると診断したならば、DIDの発する自己開示を先ずは疑うのがいい。DIDは自分を隠して生きてきたからだ。鬼胎としての己。DID患者はお前は生まれてきてはならなかった、という強い声にのみ牽引され生き長らえてきた。

じっさい芸術療法は至る所で採用されている。例えば学校の美術の授業で教員は時折教科書を見ないで、などと言うが(それは模倣をしないで、という意味合いだが)、こうした要求に不自由な脳で立ち向かうことを繰り返してきたDIDは少しの偽りを混ぜた即席の自己開示の反復により自分自身をも欺かれている。

芸術療法の目標は自己開示であり正しい自己開示は自己と世界を正しく繋ぐ。

たとえ生まれ落ちた瞬間から鬼胎として生かされて来たのだとしてもこう見えてもわたしは命を持つ1人の人間なのである。

様々な経緯で木彫り熊を手習いしている。彫刻刀を持つ前に熊の絵を描く。熊の顔。熊の耳。熊の背中。熊を描く。一本の線を描く。ある時わたしは溢れる涙を抑えられず、いったい脳の中で何が起きたのかのだろうかといろいろなことを考えた。

わたしにとって熊は鬼胎としてのわたしの真実であった。

熊はダメ。今はそんな声と折り合いをつけるべく、見るだけなら、とFacebookで熊の写真を時々見ている。自由に、思いつくままに。熊を脳内に放し飼いにするかのようにである。

幾つかの治療法〜⑦芸術療法

DIDの回復について、当事者と当事者の家族、また治療者とではそれぞれが異なるイメージを持っている。

当事者は今まで通り何人かの自分のままで生きていきたいという思考をいつまでも捨てきれない。家族は治療が進めば愛する人の奇異な部分が少しは人並みに近付くという期待を持っている。

治療者の考えは当事者であるわたしには正直わからない。ある時は今日生きていることを褒めてくれるし、ある時は変人で良いと慰めてくれる。良質な治療の主導権は当事者の今その時だという双方の了解は、傍目には医師がその権威を捨てて患者に媚びているかのように映ったとしてもけして揺らがないものだ。

回復とは何か。

回復とは癒すことであると、それがまるで壊れたアスファルトの道路の復旧だとする第三者がわたしは大変苦手だ。

DIDの病理は単純な愛情の足し引きではない。目の前の道路にアスファルトが敷かれたのはほんの数十年前のことであり、その道路の'ほんとうのはじまり'を知る人はじつはどこにも存在しない。

DIDは人格の故障であるとして、今すぐ熱いアスファルトを被せることが復旧だと考えている単純慈愛派(DID患者には生育期に欠けていた親の愛を埋め合わせよと主張する人々)やマイノリティ救済派(DIDの回復を個々のジェンダーの獲得と混ぜこぜにして弱者救済だと主張する人々)の鉄壁の優しさはじっさい当事者には虐待の再現に真っしぐら向かうパラドックスとなる。DIDは違反と歪みに慣れているからだ。それが見当違いであればあるほど受け入れることは容易い。

DID患者とは。日々わたしは誰?をくり返すしかない当事者にはアスファルトフィニィッシャーではなく掘削機をこそが必要なのだ。

芸術という響きは重々しいがアートでは軽々しい。ひとりひとりの人間は個々の感性を持つ。感性は発達するし衰退もする。

DID患者はれっきとしたひとりの人間である。わたしはほんとうのわたしを知らねばならず、今ここに居るわたしが誰だとしてもここからはじまるしかない。

思考の掘削とは平たく言えば表現である。掘削機は絵筆になったり彫刻刀になったり、こうして言葉を使ってイメージを組み立てたりする作業であろう。

DID患者にもちゃんと人としての思いがある。人を殺したかもしれない荒んだ心がその荒んだ視線の先に美しいものを求めることがあることをわたしは知っている。わたしはそれを知っているので治療をあきらめないのだと思う。

芸術療法としてランダムに色彩と造形、表象における醜美などを今後論じてゆきたい。

幾つかの治療法〜⑥転地療養

俗に田舎暮らしが疲れた脳に良いと言うが、わたしはじっさいに田舎暮らしをしてみるまでそんな定石には反論していた。コンビニ&古本屋依存症。賑やかな街が大好きなのだ。わたしは街灯の無い場所が怖くてたまらなかった。

転地療養の定義は日常を総替えすることである。人口密度の高い下町育ちの人ならば閑散とした田舎の景色が脳のリフレッシュになるかもしれないが、そもそも田舎で育ったわたしは今も不便さを強いられることにはストレスを覚える。

転地療養とは何か。転地療養をしていますという施設に入所する、もしくは転院をして治療そのものを総替えする。転地療養というからには治療であるが転地療養は公費補助の対象にはならない。転地療養の一環として温泉旅行をしてきました、と市役所の福祉課へ領収書を提出しても?という顔をされてしまうだろうな。

転地療養については結論がでないままである。日常から切り離されることで脳内はリフレッシュするかもしれないがその目的は?だってまた帰ってくるんだもん。何のためにわたしは帰ってくるのだろう。

障害者となり仕事を失い家族の世話になって暮しているのだ。転地するなら徹底的に転地したい。帰ってくるつもりなら転地ではない。

振り返ってみればわたしは自分で考えているよりも環境に左右されることが少ないようである。わたしは視野が狭い。わたしが環境といってもそれはせいぜいが半径数メートルくらいのエリアのなのだ。

手足が伸ばせ横になれるならそこが田舎でも下町でも正直構わないのだ。ビジネスホテルでも相部屋でも一向に平気なのである。

本を読み音楽を聴く。いつもの如く、脳内では熱心にどうでもいいようなことを別のどうでもいいようなことに結びつける作業が続く。深呼吸。水を飲みパンを齧る。話し相手はあればあったで悪くない。よく話す人の話を聞き、黙っているのが好きな人だとわかれば様子を伺う。

転地療養を環境を変え、ストレスフリーを目指す定住を目的とする移動と定義するなら、おそらくわたしに効果ありであった転地療養とはむしろ、その移動をする移動中の状態を指す。バスや電車や船の窓からみるその景色なのである。転地療養の転は転々の転。

それが何故効果的なのか?それがわかんないんだよね。

脳内で飛びまわり'はてな'という壁に当たっては跳ね返る素粒子たちが移動中だけはおとなしく窓の外を見ているのだ。

旅に'はてな'なんてない。いや旅は全て'はてな'だ。あれは何だ?あれは何だ?ああもう考えるのをやめよー。

山を越え、海を越え、駅を過ぎ、幾つもの町を行き過ぎる時間の滞在の効果なんである。

幾つかの治療法〜⑤運動療法による疼痛マネジメント その2

DIDの疼痛はひとりひとり異なるし、私見だがDID患者の疼痛はきっちりと分類すべきだと感じている。痛いときには「この痛みはなんだろう」という当事者にしか出来ない熟考をその都度すべきである。急性の危険な痛みを心因性のものだと決めつけて重篤な疾患の治療を遅らせることは避けねばならない。

さてDID患者の多くはその子ども時代にカラダの痛みを訴えてもそれを直ぐには受け入れてもらえず結果我慢して過ごしてきた。その始まりの年代は幼ければ幼いほど、これからわたしが書こうとしているDIDにおける難治性疼痛症の頻度は増す。

意外な事実であるが慢性痛、つまり慢性的な痛みとは長く続く痛みのことを指すのではない。初発の痛みを脳が認識してのち、脳内で生じている複雑なメカニズムによりその初発の痛みが「なんらかの理由から」再発することがある。再発痛とは「もう痛くないはずなのに痛む」ということである。ここではこの再発痛を慢性的な痛みと定義する。

痛みのメカニズムの特徴のひとつに痛みへの脳内物質の反射的分泌というものがあるが、幼くして再発痛を繰り返しているうちにここら辺の反射的分泌はもはやなんの反射的作用もしなくなってゆく。

そのようにしてDIDは幼児の時代から「痛いの痛いの飛んでけー」の魔法を身につけるのだろうか。痛みを和らげる幾つかの脳内物質、それら脳内物質を反射的分泌するためのカラタのあちこちのホルモン分泌。DIDは四六時中起きる再発痛への対処で、生理学的にはまったくのミラクルな状態で生き続けてゆくと言っていい。

もちろんわたしはアマチュアであるし、医学というものは日進月歩。この記事に何かの間違いがあれば率直に指摘して頂きたい。解離と脳内物質についての医学論文に興味のある方はそちらを読まれる方が宜しい。

わたしが取り上げたいのはひとつのことである。

再発痛はたとえ再発痛であろうとれっきとした痛みなのだ。その医学職の相違から、内科、整形、神経、婦人科とドクターショッピングをしたのち、原因が見つからないという理由でそこかしこで患者は「気のせいですよ」と言われるだろう。

「気のせい」だとしても当事者は充分に痛い。精神科以外で飛び交う「心因性」という言葉に含まれる医師たちのメッセージは皆「我慢できるんじゃない?」であるし、当事者たちはじっさいにいとも簡単にそれを受け入れ長い年月を我慢してしまうのだ。

忍耐を美徳とする文化的背景が解離の疫学のひとつかもしれない。

健全な日常にも忍耐という名の解離はある。日常生活に於ける解離的な変成状態としてパトナムは幾つかの項目を挙げている(2001年、p256)。宗教に於ける転向心理、薬物による神秘的体験、嗜癖による自我の分裂、長時間の受動的テレビ視聴による誘発的行動、そしてテレビ以外のメディアのバーチャルリアリティによって開く窓。

わたし自身はこれらを解離的で病的だと否定し非難する気は全くない。今の時代、なんなら解離よりも身近な危険は溢れているのだ。癌死は2人に1人、交通事故死も然りである。

パトナムは日常生活の解離としてスポーツを特筆している。ではスポーツは危険か。スポーツはいけないのか。

わたしが言いたいのは、運動療法が運動によって解離を起こすのではないということだ。そしてDIDは解離を自ら起こしてきたわけではない。

もちろん先ほど「痛いの飛んでけー」の魔法と書いたがあれはむしろ人体のミラクルへの畏敬から書いた。数々の苦痛をDIDの人体は回避してきた。人体機能はいつもオートマチックにだ。痛みでは死ななかったのだ。解離も当事者には止められなかったのだから。

わたしが走り続ける理由はロマンチックに言えば自分を見つめるためである。自分の手足や自分の心臓の音を聞くためなのである。そうしてカラダ全体を自分の所有物だと正しく捉えるのだ。

利き足でない方の足が上がりにくいことに気づいたのは走り始めて1ヶ月のころだった。1キロを8分ほどのゆっくりペース。わたしはわたしの意思で走っている。走るだけ。一文にもならない。誰にも迷惑もかけなければ誰も得することがない。小雨ならばむしろ喜んで走る。何故だろう。雨の中を走るのが好きである。

いろいろなことを考えながら走る。わたしは走ると頭痛は消える。もちろんそんな論文はまだ読んだことがないから「走るのが効くよ」とここに書くわけにはいかない。

我慢も忍耐も辛抱も、じつのところわたしは大好物である。DID患者に「我慢しなくてもいい」と言ってはならない。我慢してなんぼの人生を歩んできたのだ。いきなり辞めろと言われてもやり方がわからない。

ランニングは我慢の辞め方を習得する方法でもある。疼痛マネジメントとしたのはじつはDID患者の疼痛を一切無くすことは無理かもしれないと思うからだ。

だけど「毎日走っています」というと何科を受診しても褒められますよ。これマジ効くよ。

おすすめでーす。

幾つかの治療法〜⑤運動療法による疼痛マネジメント その1

DIDに限らず今の時代原因不明の痛みで病院通いをし続けている人は少なくない。DIDの治療法のなんやかんやを書こうと思うと「痛み」について書くことから全く遠ざかることが出来ない。ただし体のどこかに原因不明の慢性の痛みがあるからと言ってその原因がDIDであるとするつもりはないし、片やDID患者の痛みの全ては完治出来ないと言い切るつもりもない。

運動療法という呼び方が正しいものなのかがアマチュアのわたしにはまずわからない。

DIDの治療が何を目指すとしても日々の暮らし、日常生活の質を向上させることは何は無くとも必要である。

痛みを訴える患者に対して見者らはその専門性の違いから様々な鑑別を行う。

神経内科、神経外科などの神経生理学者は痛みは神経学的異常より起こる事態だとする。整形外科医は痛みを生じさせている筋骨格系の不具合を細密に観察検索する。

わたしたちは痛みが生じると先ずそこに手を当てその辺りの何かの損傷を疑う。先生腰が痛いんです。頭が痛いんです。

わたしの整形外科の主治医はたいへん勉強家で(大丈夫皮肉じゃないですよ、これ)、あるときわたしに興味深い説明をしてくれた。それは痛みには2種類の痛みがあるという話で、それは急性の痛みと慢性の痛みであるということだった。

損傷の痕跡、もしくは損傷の回復の痕跡が見られ、もう充分に健康体であるにもかかわらずわたしから「痛み」が無くならないのは何故か?この主治医は整形外科医なので自分の仕事はここまでである、と言い、貴女の痛みは慢性痛である、これは近未来の重症な疾病の警告でも、現在進行形の筋骨格損傷のいち症状でもない。これはいわば「疼痛症」という名の単独の疾患なのである。お話はそんな感じであった。

わたしがこの話のわかる整形外科医に著しく依存したことは言うまでもない。彼もまたわたしが痛いと言えば体のあちこちに出来る範囲でキシロカインを静注してくれたのだが、そんなことでDIDの治療は進むはずもなく、やがてわたしと主治医との短い春は終わった。わたしの痛みは益々増してゆくという事態を起こしてしまうのである。

これより少し時間を遡り、わたしのDIDを見出した内科のクリニックの主治医に掛かっていたころに、わたしは自分の近未来の疼痛症状を予見していたかのような細密な調査をしていたことがあった。

当時のわたしは両足首の関節痛で歩くことが出来なくなり自走は出来ないタイプの車椅子を購入して日常生活を過ごしていた。病名は幾つかの自己免疫疾患の疑いであった。

自己免疫疾患ってなんや?

内科のクリニックの主治医は元は大病院の麻酔科医だったのでこ難しい話がたいへん得意で(これは皮肉ですね、うん)、わたしは様々なレクチャーを彼から受けた。

わたしの足首は歩けないほど痛いけれと足首にはそもそも何があるの?

軟部組織だよ、痛みは炎症だよ、でもその類の炎症には損傷は伴わないことが多い。菌が入ったわけでもない、ウイルスでもない、自分で自分の細胞を攻撃しているんだ。

そのときの幾つかの自己免疫疾患の疑いは今では診断されたものもあるしステロイド治療も経験したが、何ヶ月か続いた足首の激痛はあるとき嘘のように消え、わたしはその時の車椅子は知人に譲ってしまった。

とはいえわたしにDIDであるがゆえの疼痛症状が消えたわけではない。次の記事では現在進行形のわたしの運動療法を具体的に書いてみたい。

幾つかの治療法〜④心理カウンセリング

厳密な線引きが出来ていないままページを重ねている。まあでもどんどん書く。

いわゆる精神療法と呼ばれるものの総称をカウンセリングと言ったりすることがある。カウンセリングには肯定したり励ましたりするイメージがある。しかし実際には肯定や励ましが無効だったり、むしろ症状を悪化させたりする症例もあり、DIDはその代表格である。

わたしはDIDと統合失調症を合併しているが精神医療の分野では統合失調症は内因として脳に障害のある疾患であるのでいわゆる心理カウンセリングは効かないとされている。

わかりやすい症状のひとつが妄想である。わたしはDIDであり統合失調症なので抱いている感情を緻密なやり方で巧みに診察室でセラピストに伝えてしまうことがある。

何ヶ月か何年かをかけてその感情の背景がはっきりして来たというときにあろうことかそれが現実には起きてはいない景色であり、わたしが脳内で作り上げた幻覚から生じた妄想であったことが判明することがある。

妄想というものはじつに奇妙なアンバランスを保ち続けている。ヒトは誰でも長所があって短所があるのが現実であるし、言ってみれば長所は短所であるのである。多面的な人格形成が日々変化をして行く過程が人間活動の実際だが家族や会社、社会などという括りに過敏になってしまうトラウマを抱えた患者は故意に作為的な人間関係にしか安心を見出せなくなってゆく。

極端に表現すれば妄想の中の誰かは常に悪魔か聖人なんである。患者の脳内から繰り出される感情ベクトルに対し治療者は肯定と否定の絶妙な合いの手(どちらも妄想を育ててしまう羽目になる)で誤った記憶のシーソーゲームはいつまでも終わることはない。

妄想は厄介である。コップの水に落ちた一滴の水性インクがコップの水の色を一瞬で濁らせるように妄想は患者の脳内を捕らえて離さない。DIDは出力すること、つまり誰かに自分を説明することを禁忌としているのでどれほど強い誘引力の妄想を持っていたとしてもそれを遥かに上回る脳の力で押し込めているのが現実である。

身近な他人、例えば家族の誰かにそれを語り出すなら事態は益々厄介な展開となる。なにしろ何十年も溜め込んでいた感情なのだ。吐き出すときは要注意である。ダムの決壊を空想するとわかりやすい。

わたしはある時期夫に過去のある時期の自分の負の感情を語り始めたところ出力オーバードライブで身体症状が出たことがあった。数日で全身に紫斑が広がり大きな病院の皮膚科や内科へかからねばならなかった。結局紫斑はステロイド治療で収めた。

その時以来語ることは怖いことだと身体が覚えてしまっている。

心理カウンセリングはDIDでは教科書通りには決して進まない。ましてや統合失調症を合併している場合の連合弛緩に対応できる治療者は稀である。そんな事態に上手く対応しがちの治療者こそが継続的なスーパーバイザーによる心理カウンセリングを受けねばならないだろう。

どうしてかと言うとわたしがすごく青いせいなんです。それで空の音がどうしても耐えられなかったんです。こんなことを患者がいったとしても治療者はけして肯定も否定も、またただ頷くべきでもない。

DIDの全てが心理カウンセリング無効ではない。心理カウンセリングをすると決めた治療者は患者が過去の出来事を開示したときにはその記憶の真偽ではなく、是非とも正邪を突き止めよう。

空の音が耐えられなかった、とおうむ返しをしたらこう言えばいい。

それは嬉しいってこと?

それとも悲しいってこと?

DIDはただ普通の人間になりたいだけなのだ。

幾つかの治療法〜③認知療法

認知療法の手法は様々であるが、市販されているこれが認知療法であるとされるテキスト類は主に専用の用紙に単語や文章を書き出さねばならず重篤な状態で寝込んでいる患者のアタマや体にはまず難しい治療である。

その上自ら書き出した行動記録等を提出しそれをセラピストと共に読み返して分析する作業はふんだんに学校時代を思い起こさせるのでわたしは当初苛々してよく「馬っ鹿じゃないの」と本を放り投げていた。

そもそもわたしの主治医は認知療法をやるからね、などと言ったり、じっさいにやったりすることは一度もなく、認知療法はわたしが勝手にはじめたことだった。主治医がとくに推奨してもいない治療法を勝手に進める辺りに今さらながらDIDの臨床の難しさを思わずには居られない。

わたしの認知療法のはじまりは主治医の発した「アサーショントレーニング」という聞き慣れない言葉であった。それに対しわたしは「そういう新しい横文字の治療には飛びつかないんだよ」などと憎まれ口を叩いた。

アサーショントレーニングとはコミニュケーションのトレーニングのことである。DIDはコミニュケーション障害を持っている。DID患者のコミニュケーションは攻撃的か受動的か、はたまた欺瞞的か作為的であるが、コミニュケーショントレーニングを難しくする要素のひとつはDID患者が他者からの評価に過剰反応することだ。

つまり褒められてもけなされてもなんとも落ち着かない。ある程度治療が進んで主治医を信頼し始めた患者は主治医の一言一言を深刻に受け止め、舞い上がりと落ち込みとで脳内を疲弊させる。

卵が先か的理論となるが良質なDID治療にアサーショントレーニングは欠かせない。治療が一進一退となるのはこの辺りである。

わたしが精神科に掛かる直前の内科の2人目の主治医はわたしへのアサーショントレーニングの必要に駆られてか診察時にはメモを持参するようにと言った。他者との対話に慣れていないわたしは実務的な診察用のメモが当初作れず、なにやら謎めいたキーワードを書き殴ったものを主治医に提出しては診察を煙に巻くことが多かった。

その内科の主治医はアサーショントレーニングのことを「内観」と呼んでいたが、その主治医にはいわゆるオマエには感謝が足りんというような高飛車なところが一切無かった。ある日余白だらけのわたしのメモを手に取った主治医はふと思い出したかのように親しい友人との死別の哀しみを語ったことがあった。

主治医はスポーツ万能の体育会系だったがそんな彼の無防備なこころに唐突に触れたわたしは全くドキドキしてしまい「先生無理して思い出さなくていいんですよ」と言った。「人間てのはとかくしてもらったことに対する認識が足りねえもんだな」などと苦笑いをするこの主治医は全く愛すべき人だった。

認知療法がDIDで有効な理由のひとつはそれがセルフヘルプであるということだ。DID患者は認知療法を行うことで自分に対して自己開示をする。

高度な認知療法では心的イメージを180度置き換えたり、マイナス思考をオートマチックに中断するスキルを身につけたり出来るが、じっさいの認知療法は地味で時間の掛かる退屈な作業である。

鬱状態躁状態のわたしには自分が全く見えていない。脳内ネイティヴとしての素のわたしは自分の行動には100%の正当性があるとしていて、自分を責めるということがない。嫌な奴なんである。

市販されている幾つかの認知療法の本ではそんな人間はこの世で生きる価値はないとして対象からは除外されているがわたしはそんな自分専用の一枚の認知療法シートを有効に使っていた。

それは「それってあたしのせい?」円グラフというものである。これはわたしのオリジナルではないが今では出典は失われていて書き出せない。ご存知の方がおられれば教えていただきたい。

白い紙にコンパスで正しい円を描く。直径は5〜10㎝くらい。中心から時計の針のように線を引く。まず12時に一本引いておく。

例えば”わたしは精神病である”という円グラフを描いてみよう。

果たしてわたしが精神病になったのは100%わたしの責任だろうか?そんな風に考えてみる。とりあえず100%ってことはないなどとふと思う。では誰か他に責任をなすりつける人は居ないだろうかなどとそんな風に考えてみる。あいつか、それともあいつか。こつこつとそんな最低にして頭のスッキリする作業が進む。

わたしは10時のところに一本の線を引き90%の余白に地球温暖化と書いた。残りの10%には遺伝と小さく書いた。

まあ要するにあたしのせいじゃないもーん、みたいなそんな感じである。

なんと素晴らしいアサーショントレーニングのはじまりの一歩。立派な人間になる道は険しく遠い道のりである。

幾つかの治療法〜②筆記療法

DID患者がその治療に筆記療法に取り入れようとしてもなかなか上手くいかない理由が幾つかある。そのひとつが強いストレスに長い時間晒されてきたという体験、つまり心的外傷(トラウマ)そのものの持つ性質である。

単発的な悲しい出来事は心的外傷(トラウマ)ではない。「それまでの人生経験で対応しきれないほど圧倒的なストレス」に「繰り返し対処せねばならない事態」で「お手上げ」すること。これが心的外傷(トラウマ)である。

さて筆記療法の目標は本来は精神疾患の治療ではない。健全な精神で過ごしている成人にも筆記はたいへん有効だ。模範的な筆記は起きた出来事をひとつひとつを主観的に評価して記録し、そうした積み重ねは自己の領域を正しく構築し、意味ある文章を書くことでわたしたちは自分の存在を肯定し、自分の人生の筆者となることが出来る。

では何故心的外傷(トラウマ)は筆記を難しくするのだろうか。理由のひとつは何かを思い出すという心の行程に少なからず心的外傷(トラウマ)的な情動が伴うからだ。当たり障りのないことを書き殴ったりすることがなんとなく良さそうに思えてもそれがいつまでも心的外傷(トラウマ)的な情動を伴わないのならその筆記作業には意義がない。

解離に関する記憶の特徴を一言で言えばそれを思い出すと心が壊れそうになるという感じだが、ある記憶の情動が自己制御不能であるならばそれは間違いない。DIDはその記憶こそを筆記すべきだ。その筋が真っ当な自己領域の輪郭だと言えるだろう。

調査好きなわたしは筆記療法のハウツーを調べ続けローラ・A・キング「痛みの伴わない改善はあり得るのか?ー筆記表出と自己制御ー」という論文を見つけた。

この論文は『カタルシスを引き起こし心的外傷(トラウマ)を分析して自己洞察へ至るプロセスに悲しみは絶対必要である』という従来の考え方に疑問を示すものである。『涙の数だけ強くなれるよ』と歌う歌手が居たけれどあれ本当なのかという理論を展開しているのだ。

ネガティヴであれポジティブであれDIDはその近くへ行くだけでかろうじて保っていた僅かなコントロールを失い掛けるのだ。やっとの思いで近づいた記憶の丘でもうひと踏ん張りだと辺りを見下ろし、1番深くて1番怖い穴を見つけ出し、これが治療だ仕方がないのだとそこにもう一度飛び込ませるなど無理難題にも程がある。

DID患者3百人に『涙の数だけ強くなれるよ』という歌を聴いてあなたはどう感じますか、とアンケートを取ってみればいい。患者たちの大半はその胡散臭いの背景にそれぞれ個別のイマジネーションを膨らませるだろう。まあそれならばこの歌は治療的かもしれないけれど。

この論文の筆者は健常の成人に将来起こるかもしれない心的外傷(トラウマ)をイメージしてもらいそれに対処するための筆記表出をさせた。”想定出来る”という時点でそれは心的外傷(トラウマ)ではないのだがサンプルとなった人々は逞しい空想力で未来の自分のネガティヴ感情を見事に描き出し、かつまたそれが未だ起きてはいない将来的なことであるということで未然に回避すべく、相応の個別の挫折へのルートを断ち切ることが可能だと判断し、強い意志を持ってそれを克服する決意を持つことすら出来た。

この実験はじっさいネガティヴ感情のすぐ近くにポジティブ感情があることを証明した。将来の失意を空想すること、つまり否が応でもその逆境を克服しなければ自身の生存が危ういという状況を思い浮かべる。そんな時ヒトは100%ポジティブ感情で対応するだろう。生きるか死ぬかの局面で悲劇の主人公になってカタルシスを待つ余裕はない。

これは心理学的設定上架空のものでこの論文はおそらくDID患者を想定していないと思う。

DIDの治療者はDID患者が何かを思い出したくないのレベルのあまりの強さにいつもガッカリしているかもしれない。意を決して診察に携えてきた告白文書のあからさまな嘘や的外れに腹をたてるかもしれない。

DID患者の模範的な筆記療法はマイメモリーの一貫してポジティブな脳天気な想起に尽きる。

それは全地球でわたしにだけ起きた、他に類の無い不幸な出来事だが、わたしはあの手この手でなんとか生き抜いてきたので今生存している、などとわたしは書く。

これだけだって心拍数も上がるし、なんだか何処かへワープしそうで言い知れない不安である。

そんなときは、先生にだけ言いますがわたしはときどき瞬間移動することが出来るのです、と書くことにしよう。

この嘘つきめ、と主治医が笑ってくれればこんなに嬉しいことは無い。主治医が泣いちゃったら患者はどうすればいい。ポジティブポジティブ。

筆記療法は患者の心に真実の自分を取り込む入り口となる。わたしは不幸を足で踏みつけて作った足場で高みに登る。不幸もきちんと積み上げて馴らせば堅牢な土台となるものだ。諦めないことだ。ポジティブ記憶を探そう。そして書いた分だけ強くなれるよと嘘くさい歌を歌おうではないか。

幾つかの治療法〜①薬物治療

パトナムは薬物治療を補助的治療と位置付けている。これがDIDには薬が効かないという定説である。柴山雅俊に至っては「解離への治療的接近」と題している。では「治療的接近」でない「接近」とはいったいなんだろうとふと考えたりする。

わたしの場合は薬物治療は時に有効だった。わたしを含めて多くのDID患者がクリニックの外来もしくは救急を初めて訪ねるタイミングは間違いなく日常に何らかの支障を来たしている。

症状は1人ひとり異なると思われる。わたしの場合は発熱である。だから内科のクリニックへ行ったし、抗生物質を投薬した。DIDの初期治療を広義に解釈して初診が内科であったという患者はわたしだけではないと思うけれどそれは違うだろうか。

現在わたしはかかりつけ医として内科と整形外科と精神科へ定期的に通っている。DID患者の疼痛症候群については別に書きたいと考えているが経験を積んだ内科医や整形外科医は、DID患者の初発の時期の痛みや発熱が、内臓もしくは骨または筋肉などの結合組織から来るメカニカルなものであるかどうかを見極めることが出来るはずである。

もちろん精神科領域の疾患からメカニカルな不具合を起こすことだって頻繁にあるのでここら辺はきっちりと区別すべきではないと思う。だからDID患者のざっくりとした臨床は「身体の方も悪いよ」とされるべきだと考えたりする。

さてなんやかんやで精神科治療が始まったときもDID患者の多くは初診からDIDと診断されることはとても少ない。そしてそれは推奨されない。どれだけメンタルの強い大人であっても「アナタ多重人格ですよ」と精神科で言われても絶対に受け入れられっこないだろう。頑張って受け入れたけどあとでやっぱり誤診だったなんてのはホント許されないことだと思う。

ということで良識も経験もある精神科医はこの人ひょっとしてDIDかな?と思っても初めのうちは「統合失調症」又は「境界性パーソナリティ障害」と診断することがじっさい的だ。それをあとになって誤診だったとくよくよ悩むDID患者はまず居ないとわたしは思う。

何故なら診断は疑いと銘打ったものだとしても治療を開始するにあたり何か病名は必要であるし、現在「境界性パーソナリティ障害」という診断名は使われていないかもしれないが「統合失調症」と「境界性パーソナリティ障害」とでは鑑別が容易い。患者は希死念慮や自殺企図を引き起こす気分障害を示しているかもしれない。やっちゃって病院に連れてこられることもある。

この状況の初診の患者をDIDと診断することは非現実的である。ここで薬物治療に懐疑的で向精神薬を投与しないなんて精神科医は逆に困る。患者本人も家族もとても疲れているだろう。少し休むために入院をすることも出来る。患者は深く眠るために点滴するかもしれない。それはけして的を外してはいないと思う。あとになって誤診だったと苦情をいうとしてもそれは病院側の人権侵害のシチュエーションに対してである。こうした標準的プライマリーケア云々ではないとわたしは思う。

模範的なDIDの治療はセルフコントロールだとわたしは考える。薬物治療は尚そう言える。

わたしは薬物に過敏に反応する体質である。効いたか効かなかったか。そんなことは本人にしかわからない官能的なものなのだ。なんなら本人にもわからない。効いてるような気もするしそうでないような気もする。

自分が治療を必要としている精神病の患者であることを患者自身が相対化して捉えられない限りセルフコントロールなんてものは無理だろう。「治りたい」「日常を取り戻したい」という強い願いがなければ行きつ戻りつの長きに渡る治療の日々は堪えられはしない。

わたしはDID患者である。なんとなく強い頭の薬を飲んでも眠る以外の改善はない。そんなことをわかってくれる主治医と2人、わたしの場合はまずは向精神薬の離脱を1年くらいかけて行った。

わたしは薬物を離脱してはじめて薬物治療に対する官能的評価を会得した。発熱も痛みもない。日常に冷静さを維持してはじめて薬物を体内に染み込ませたときのあの浮遊感や厭世的な景色を明確に言葉で表現できたといえる。

思えば自分でも薬に対する恐怖心を無闇に煽っていたかもしれない。治療に於ける薬物の働きはそれ以上でもそれ以下でもない。だからと言って補助的とは思わない。体力にも精神にも限界のある患者と患者の家族が病気と供に日常を保っていく勇気を培うまでの重要なサポートをするだろう。

柴山氏は「治療的接近」と書いたがDIDは薬物治療が必ずしも功を奏さず虚しくなる日々があることは事実である。

薬物治療有りきの精神科医は「治療的接近」イコール薬物治療ではない、と発想を変えるべきである。

薬物治療は幾つかの治療のひとつに過ぎない。