解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(32)モズク採り

モズク採りが単純に脳に良いということではない。

わたしは沖縄でモズク採りをしたその日、浅い海でゆらゆらと繁茂するモズクを手でちぎって、そのままその場で食べたのである。例えば栽培農家がりんごやイチゴを観光客に食べさせるレジャーがある。これまでわたしは積極的にその種の場所へと出向くことはなかった。

糸満市の道の駅には大きめの鮮魚市場があり、食べてみたい魚を刺身で食べられるシステムがある。貝殻に盛られた一人前数百円の新鮮な刺身を幾つかトレーに選んで会計してもらう。この魚の丸の姿はどれ?と店のお兄さんに尋ねると隣接する場所の赤や青の魚を指差して教えてくれる。

わたしはその日高瀬貝という貝を食べた。高瀬貝はお土産屋さんで売っている三角のカタチの美しい貝である。味はなんとも言えない個性的なもので旨味はある。問題は食感で、部位により異なるが最初にひとくち食べたところはまるで蒸したササミであった。後半はアワビに似ていてなかなか宜しい感じである。

イートインスペースは共用でわたしの隣の現地の婦人が高瀬貝食べてるの?シャコガイ食べたらいいさと笑った。ここは昔は食べる場所なんてなかった、観光客のために作ったんだね、買った魚をその場で食べるなんてほんとにハシタナイさ。婦人は独り語りを続けている。婦人は既に食べ終わっていて、いったい何をチョイスしたのか確認出来ず無念。

モズクを海から取ってすぐ食べるというのは要するにモズクを水道水で洗わないということ以上の意味がある。つまり調理をしない、モズクの踊り喰いである。モズク採りの面々が皆モズクの踊り喰いをしているわけではない。わたしはモズク採りは初めて。このモズクほんとに食べられるのか。そんな確認をせずには居られなかったのだ。海水ってショッパイなあ。なんでかなあ。モズク採りはなかなかエキサイティングである。