解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(27)眉(まゆ)

街角で、雑誌で、わたしは人の眉を見る。濃い眉、薄い眉。厳しい眉、優しい眉。眼のすぐ上にあって凛々しく眼球と連動して働く眉があり、おでこの真ん中で堂々と顔の1パーツとして独立を果たして、何事にも動じない眉がある。

四国の徳島には眉山という名の山があるという。眉のような山だという。山が眉に似ているとはいったい。眉山は壮大なる眉である。いつか眉山を見てみたい。

毎日毎朝鏡を見ては自分の眉毛を描く。太めの色鉛筆のようなもので薄くぼんやりと色を付けるように描くときもあれば、細い筆の先で一筋の鋭利な線を引くときもある。黒から薄茶まで色もいろいろ。

厳密には眉毛を描くのではない。自前の眉毛を整えているのだ。行き場に迷っている。季節を失った箱庭の雑草のような、わたしの眉はそんなである。それでも加齢でハリのない冴えない顔付きを当て所なく飾る。わたしの眉である。

それでいいさ、可笑しなままさと脳の声に応じてみる。眉はいったい何のためにあるのだろうとかそんなことも考える。そして今日は眉尻の眉毛の先をカットした。すると顔が何処と無くきっぱりとなった。きっぱり。何とはなしそこには強い風が吹いているような顔になったように思ったりして。