解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(15)切妻造

平入りという。切妻の斜め屋根の軒下に出入り口のある家のことである。京町家。長屋。数世帯が軒を連ねる。

わたしが憶えている平入りのその古い家は隣との仕切りは壁一枚であった。子ども時代、真夜中壁一枚挟んだ隣家で若い女が繰り返し殴られる騒動を聞いてわたしはなかなか寝付けなかった。

「眠りの精」というドイツ民謡がある。「砂の精」とも言うその優しい子守唄をわたしは知っている。眠れない子どもに眠るための秘薬の砂をふりかける眠りの精。眠りの精は空を飛んでやってくる。そして窓から子どもの様子を伺うのだ。

長屋のことをうなぎの寝床と言ったりすることがある。玄関を入るとまっすぐに土間が続いていて、壁に沿って浅い溝がありそこをちょろちょろと少ない水が流れていた。

昼間でも暗い土間を歩いて進むと時折溝を何か小さな生き物が走っていった。萱鼠である。

夜が来る。悲鳴を聞くのが恐ろしくても屋根続きの長屋には逃げ場はない。殴られているのはわたしでもわたしの家族でもないというのにわたしは夜の間苦悶し続けていたものだ。出来ればわたしは1匹の萱鼠になりたかった。そうであれば溝を走り抜け中庭へ出ることが出来る。たとえ汚水にまみれようともここで朝が来るのを待つよりはマシだと。

切妻造の長屋の出入り口は軒下だがわたしの扉はそこにはない。ある夜わたしは空を飛んでいた。夢だったのだろうか。遥か上空であの三角屋根を見ていた。

眠りの精が来なければわたしがなってみせようと、そんな空想をしたのだろうか。長屋には窓がないというのに。ネズミは空を飛べないというのに。