解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(11)空間

1月から月に2回声楽のレッスンに通っている。レッスンとレッスンの合間は自宅のリビングで1日に数回細切れの時間ひとり声出しレッスンを繰り返している。

声楽教師からその週に出されるわたしへのコマンド。それをクリアする。コマンドはそれほど多くはない。しかしたいていは困難極まりない。ある日の午後わたしは腹式発声を含む複合的な課題に果敢に挑戦していた。

腹式発声。教室でやった通りの、指示通りの手順を踏めば腹式発声はクリア。しかし彼女(友人である声楽教師)が言ったのだ。'気持ち良く息を吐く'。わたしは果たして今気持ち良く息を吐いただろうか?

気持ち良く息を吐くとはどういうことか。そもそも息は何処に入っているのだろうか。溜まった空気が少し残っているから。たしか彼女はそう言った。ここか。わたしは横隔膜を押してみた。吐いてしまうと気持ちいいでしょ。わたしは残っている息を吐き切りすぐさま吸い込んだ。

こんな風に息をするのは初めてかもしれない。こんな風にとは、こんな風に。自分の意思で自分の横隔膜を意識しながら、空気を吸い込んだり吐いたりということだ。

必死にならないで、貴女っていつも100%なんだから。そう言って彼女が笑った。どうすればいいの?80%を意識して。なるほどね。

わたしは肩のちからを抜いて8割のパフォーマンスをやってみた。腹式発声はそのやり方で数段楽になった。わたしは嬉しい。腹式発声が出来たことではない。わたしの歌は腹式発声で声を出すことでようやくはじまる。腹式発声でなければわたしは澄んだ高音を出すことが出来ない。

わたしは気持ち良く歌う。喉を開き、前方を目掛けて吐く息に音を乗せる。出始め弱小なわたしの高音は口から出たのちに1mほど強くまっすぐに伸びて、そののちは自由に空間を広がった。

長年のあいだわたしは自分で自分の身体に制約を課していたのかもしれない。気がつけばわたしは、単にそれは今は自己満足のレベルであるとしても意匠を凝らしたわたしの歌を、部屋中に響かせていた。そしてそこにはわたしの空間があった。