解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

大人になっても困ること〜虐待の再現と虐待者を理想化すること

虐待を再現する行為は指摘されなければ自覚出来ない。わたしは大人になってからも被虐待児になり易い。権威に支配され管理され言いなりになる。そうした力動を理路整然と説明出来るなら困ったことにはならないし、まあそれならセラピーへ通う必要もない。

わたしの主治医は診察日と診察日のあいだわたしが何かしでかしていないかを巧妙にチェックするのだが時々老婆心で先回りして要らぬお節介を言ってくる。

その人はどんな人?何歳くらい?それでなんて答えたの?わたしが適切な対応が出来なさそうだと判断した主治医はこう言う。今までもそういうことあったよな、あの時それでどうなったかを思い出せるか。うん、わかってる、気をつけるよ。

振り幅は小さいがこれがつまり虐待の再現である。わたしは主治医から不本意な支配と管理をされているにも関わらず心の奥深くでは安心している。この瞬間、わたしには目の前のなぎら健壱が普段とは違う〈スーパーなぎら〉に感じられるのだ(主治医はなぎら健壱似である)。これが分かり易いパターンの「虐待者を理想化する」である。

わたしが19歳の時だ。わたしはひとりの男性と知り合った。彼はバイト先の常連客で、毎日きっかり午後4時になるとカウンター席に座った。年齢は30代半ば、品の良いサックスブルーの欧州車に乗り、薄い色付きのボタンダウンシャツにウールのカーディガン、茶色のローファーを履き、煙草は吸わない。砂糖なしの珈琲にミルクを少し入れて飲む。わたしは何故か彼を先生と呼んでいた。

わたしは当時、親密関係が怖かった。相手が気の知れた同級生でも長年の幼馴染みでも2人きりになるのはとても怖い。その時はもう既にDIDのベテランだった。「重要人物を酷い目に合わせる」という自分の癖をわたしはとても恐れていた。

近づく者を容赦しない。場合によっては引きつけてから痛めつける。根拠は無い。殺られる前に殺ってやれという長年の習性だ。

ただし彼だけは別だった。わたしは彼との関係をそれは大切にしていた。だからわたしは彼がわたしを詳しく知る前にわたしから離れてくれたらと願ったが彼は4時にカウンター席にやって来て笑顔で珈琲を注文したし、わたしは嬉しくて笑顔で珈琲を出した。

今思えば彼は定職に就いていなかった。午後4時に疲れた風でもなく珈琲を飲みに来る。わたしと彼は特別何を話すというでもなかったがある日突然電話番号を尋ねられたわたしは帰り際紙切れに番号を走り書きしてお釣りと一緒に手渡した。午前中だったり、夜中だったり、何度か電話でとりとめない話をした。

今になって彼を思い出すのは何故だろう。それは小説で失明をした新海氏は彼がモデルなのだ。とうとう新海氏は視力を失ってしまう。

わたしはやっぱり病気なんだ。この話をしたら主治医は言うかな。それでその男をどんな目に合わせたんだ。

何もしてないよ。小説中で失明させたのもなんの仕返しでもないよ。

ある日彼は満面の笑顔、カウンターに一枚の絵葉書を置いた。それは山の絵だった。子どもの絵本のような薄いパステルグリーンの山と薄いパステルブルーの空。彼は個展をするんだけど来ない?と言った。彼は画家だった。

わたしは彼の絵を観たくてたまらない。おしゃれをして出掛けた。濃紺のダッフルコートとローファー。持っているマフラーの中で1番品の良い柔らかい感じの水色のマフラー。手袋とバッグ。それから花屋で花束を買った。何の花にしようかなんて迷わない。ピンクのチューリップを10本。生成りの紙に包んでもらった。

小さな画廊。わたしは圧倒された。それは小学校の黒板くらいある大きな山の絵だった。そして日本画だった。

彼は笑顔だった。わたしも笑顔だった。

わたしは大学に復学しバイトを辞め、彼とはそれっきり会っていない。あの日チューリップの花束を手渡しわたしは笑顔でもう電話をしないでくださいと別れた。帰り道は力が抜けて身体がふらふらになった。

彼は素敵な人だった。いや素敵だったのは彼ではなく彼の絵かな。

そんな素敵だった?パトリックが言う。

だって塚地さんだよ。へ?誰? ドランクドラゴンの塚地さんに似てたんだよ。わたしは彼を理想化した、わたしは塚地に支配されかけていた‥‥。

‥‥塚地ならあなたどストライクで好みでしょうよ。

パトリックが微笑んだ。