解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(8)反復

数日前から江戸時代の絵師若冲の図録を模写している。若冲は八百屋だったので野菜や家禽を描いた。昨日から群鶏図を描いている。たくさんの鶏の頭を赤く色付けする作業はたいへん楽しいです。

色付けは軌跡を辿るのに似ている。何も考えずに塗り絵をする。物事の操作権を放棄してただひたすらに単純な反復をするだけ。繰り返しは気楽だな。繰り返しは幼稚か。そうであれば幼稚を許されていることをしみじみ喜ばしく思うのだ。

柴山雅俊はDIDを眼差しの病理と言ったがかつてわたしはこの世界の一員になりたかった。だから周囲の眼差しの全てに対応した。そのときにはもうそれらの眼差しは眼差し以上の力を持つまでになった。わたしは眼差しの虜だった。

人間の心地よさの方位はひとりひとり異なるが日和見で矛盾した狂った方位をわたしはそうやって築いた。わたしは諦めなかった。不安定も両極端も統一した。あるときあたかも赤道のごとく屈強な横線が脳内に引かれはじめる。ここから上は赤、ここから下は黒だ。そうだけして混ざってはならない。

わたしは真にひとりであった。わたしの水先案内をしてくれる水路も磁石も自分でつくるしかなかったのだ。

脳内の圧力壁の製作は外圧からの防御ではない。わたしがそこから漏れてしまわないように。わたしの赤が枯渇してしまわないように。わたしの心のはてな素粒子が出ていってしまって帰って来ないことの無いように。宇宙的数字に膨れ上がる素粒子たちの打ち返すその反復に耐えられるだけの強い圧力壁は、そんな感じでわたしの心の奥のほうにつくられた。