芸術療法〜(7)水色
わたしは何を求めて生きてきたのだろうか。わたしと外の世界を隔てる膜を通して、わたしはいったい何を見ていたのだろう。
一般的にDID患者は疎隔で離人、同一性が混乱しているとされる。しかしながら思い返してみればそれもこれも皆全ては一方的なわたしの側の物語なのだ。
それははじめ何かがずれて見えていた。それは一本の線の歪みに似た景色であった。その膜がわたしを護っていることが駆けだしたばかりのわたしの脳が見落とした一瞬。内と外の温度差にわたしは苛ついた。それは僅かな誤差である。そしてそれは何処にでもあるあらゆるものの存在の揺らぎである。
噛み合わない歯車にいらいらした拙い心が遮二無二に救済を求める。わたしは強かったのかもしれない。手折ってきたタンポポはやがて萎れてゆくけれどわたしはあきらめなかった。
誰でもいい。萎れていかない温かさのお手本が欲しかった。人間というテキストを見たかった。傍を通り掛かりふと存在に気付いて呉れ、ああ其処に居たのかと会釈してくれれば。わたしもそんなやり取りを習得出来たと。
ケミカルレースの余白を丁寧に塗る。水色で塗る。
そこには何も無い。膜の外。何も無い空間の世界をわたしはとっておきの水色で彩るのだ。