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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜⑴鬼胎として

鬼胎という言葉は聞き慣れない。鬼胎とは文学用語ではなく医学用語で、不健全な増殖をする胎細胞を指す。

DIDの自己開示を妨げる力動はたいへん強い。それを発するな、それを他人に告げるな。その警告は内なる声であり、わたしはわたしのその声のはじまりがいつからのものであるかを思い出すことが出来ない。

一般的な芸術療法の手法は優しい雰囲気を持つ。自由に、または思いつくままに。これは評価ではない、貴女は何を描いても良いのです。

DIDの全ての自己開示は偽りである。じっさいは本人にもそれが嘘だということがわからないのだ。自由にありのままにと言われてふっと出てきたものが極めて本物らしい偽りだったのだ。

治療者は患者をDIDであると診断したならば、DIDの発する自己開示を先ずは疑うのがいい。DIDは自分を隠して生きてきたからだ。鬼胎としての己。DID患者はお前は生まれてきてはならなかった、という強い声にのみ牽引され生き長らえてきた。

じっさい芸術療法は至る所で採用されている。例えば学校の美術の授業で教員は時折教科書を見ないで、などと言うが(それは模倣をしないで、という意味合いだが)、こうした要求に不自由な脳で立ち向かうことを繰り返してきたDIDは少しの偽りを混ぜた即席の自己開示の反復により自分自身をも欺かれている。

芸術療法の目標は自己開示であり正しい自己開示は自己と世界を正しく繋ぐ。

たとえ生まれ落ちた瞬間から鬼胎として生かされて来たのだとしてもこう見えてもわたしは命を持つ1人の人間なのである。

様々な経緯で木彫り熊を手習いしている。彫刻刀を持つ前に熊の絵を描く。熊の顔。熊の耳。熊の背中。熊を描く。一本の線を描く。ある時わたしは溢れる涙を抑えられず、いったい脳の中で何が起きたのかのだろうかといろいろなことを考えた。

わたしにとって熊は鬼胎としてのわたしの真実であった。

熊はダメ。今はそんな声と折り合いをつけるべく、見るだけなら、とFacebookで熊の写真を時々見ている。自由に、思いつくままに。熊を脳内に放し飼いにするかのようにである。