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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

幾つかの治療法〜⑥転地療養

俗に田舎暮らしが疲れた脳に良いと言うが、わたしはじっさいに田舎暮らしをしてみるまでそんな定石には反論していた。コンビニ&古本屋依存症。賑やかな街が大好きなのだ。わたしは街灯の無い場所が怖くてたまらなかった。

転地療養の定義は日常を総替えすることである。人口密度の高い下町育ちの人ならば閑散とした田舎の景色が脳のリフレッシュになるかもしれないが、そもそも田舎で育ったわたしは今も不便さを強いられることにはストレスを覚える。

転地療養とは何か。転地療養をしていますという施設に入所する、もしくは転院をして治療そのものを総替えする。転地療養というからには治療であるが転地療養は公費補助の対象にはならない。転地療養の一環として温泉旅行をしてきました、と市役所の福祉課へ領収書を提出しても?という顔をされてしまうだろうな。

転地療養については結論がでないままである。日常から切り離されることで脳内はリフレッシュするかもしれないがその目的は?だってまた帰ってくるんだもん。何のためにわたしは帰ってくるのだろう。

障害者となり仕事を失い家族の世話になって暮しているのだ。転地するなら徹底的に転地したい。帰ってくるつもりなら転地ではない。

振り返ってみればわたしは自分で考えているよりも環境に左右されることが少ないようである。わたしは視野が狭い。わたしが環境といってもそれはせいぜいが半径数メートルくらいのエリアのなのだ。

手足が伸ばせ横になれるならそこが田舎でも下町でも正直構わないのだ。ビジネスホテルでも相部屋でも一向に平気なのである。

本を読み音楽を聴く。いつもの如く、脳内では熱心にどうでもいいようなことを別のどうでもいいようなことに結びつける作業が続く。深呼吸。水を飲みパンを齧る。話し相手はあればあったで悪くない。よく話す人の話を聞き、黙っているのが好きな人だとわかれば様子を伺う。

転地療養を環境を変え、ストレスフリーを目指す定住を目的とする移動と定義するなら、おそらくわたしに効果ありであった転地療養とはむしろ、その移動をする移動中の状態を指す。バスや電車や船の窓からみるその景色なのである。転地療養の転は転々の転。

それが何故効果的なのか?それがわかんないんだよね。

脳内で飛びまわり'はてな'という壁に当たっては跳ね返る素粒子たちが移動中だけはおとなしく窓の外を見ているのだ。

旅に'はてな'なんてない。いや旅は全て'はてな'だ。あれは何だ?あれは何だ?ああもう考えるのをやめよー。

山を越え、海を越え、駅を過ぎ、幾つもの町を行き過ぎる時間の滞在の効果なんである。