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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

幾つかの治療法〜④心理カウンセリング

厳密な線引きが出来ていないままページを重ねている。まあでもどんどん書く。

いわゆる精神療法と呼ばれるものの総称をカウンセリングと言ったりすることがある。カウンセリングには肯定したり励ましたりするイメージがある。しかし実際には肯定や励ましが無効だったり、むしろ症状を悪化させたりする症例もあり、DIDはその代表格である。

わたしはDIDと統合失調症を合併しているが精神医療の分野では統合失調症は内因として脳に障害のある疾患であるのでいわゆる心理カウンセリングは効かないとされている。

わかりやすい症状のひとつが妄想である。わたしはDIDであり統合失調症なので抱いている感情を緻密なやり方で巧みに診察室でセラピストに伝えてしまうことがある。

何ヶ月か何年かをかけてその感情の背景がはっきりして来たというときにあろうことかそれが現実には起きてはいない景色であり、わたしが脳内で作り上げた幻覚から生じた妄想であったことが判明することがある。

妄想というものはじつに奇妙なアンバランスを保ち続けている。ヒトは誰でも長所があって短所があるのが現実であるし、言ってみれば長所は短所であるのである。多面的な人格形成が日々変化をして行く過程が人間活動の実際だが家族や会社、社会などという括りに過敏になってしまうトラウマを抱えた患者は故意に作為的な人間関係にしか安心を見出せなくなってゆく。

極端に表現すれば妄想の中の誰かは常に悪魔か聖人なんである。患者の脳内から繰り出される感情ベクトルに対し治療者は肯定と否定の絶妙な合いの手(どちらも妄想を育ててしまう羽目になる)で誤った記憶のシーソーゲームはいつまでも終わることはない。

妄想は厄介である。コップの水に落ちた一滴の水性インクがコップの水の色を一瞬で濁らせるように妄想は患者の脳内を捕らえて離さない。DIDは出力すること、つまり誰かに自分を説明することを禁忌としているのでどれほど強い誘引力の妄想を持っていたとしてもそれを遥かに上回る脳の力で押し込めているのが現実である。

身近な他人、例えば家族の誰かにそれを語り出すなら事態は益々厄介な展開となる。なにしろ何十年も溜め込んでいた感情なのだ。吐き出すときは要注意である。ダムの決壊を空想するとわかりやすい。

わたしはある時期夫に過去のある時期の自分の負の感情を語り始めたところ出力オーバードライブで身体症状が出たことがあった。数日で全身に紫斑が広がり大きな病院の皮膚科や内科へかからねばならなかった。結局紫斑はステロイド治療で収めた。

その時以来語ることは怖いことだと身体が覚えてしまっている。

心理カウンセリングはDIDでは教科書通りには決して進まない。ましてや統合失調症を合併している場合の連合弛緩に対応できる治療者は稀である。そんな事態に上手く対応しがちの治療者こそが継続的なスーパーバイザーによる心理カウンセリングを受けねばならないだろう。

どうしてかと言うとわたしがすごく青いせいなんです。それで空の音がどうしても耐えられなかったんです。こんなことを患者がいったとしても治療者はけして肯定も否定も、またただ頷くべきでもない。

DIDの全てが心理カウンセリング無効ではない。心理カウンセリングをすると決めた治療者は患者が過去の出来事を開示したときにはその記憶の真偽ではなく、是非とも正邪を突き止めよう。

空の音が耐えられなかった、とおうむ返しをしたらこう言えばいい。

それは嬉しいってこと?

それとも悲しいってこと?

DIDはただ普通の人間になりたいだけなのだ。