解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

幾つかの治療法〜②筆記療法

DID患者がその治療に筆記療法に取り入れようとしてもなかなか上手くいかない理由が幾つかある。そのひとつが強いストレスに長い時間晒されてきたという体験、つまり心的外傷(トラウマ)そのものの持つ性質である。

単発的な悲しい出来事は心的外傷(トラウマ)ではない。「それまでの人生経験で対応しきれないほど圧倒的なストレス」に「繰り返し対処せねばならない事態」で「お手上げ」すること。これが心的外傷(トラウマ)である。

さて筆記療法の目標は本来は精神疾患の治療ではない。健全な精神で過ごしている成人にも筆記はたいへん有効だ。模範的な筆記は起きた出来事をひとつひとつを主観的に評価して記録し、そうした積み重ねは自己の領域を正しく構築し、意味ある文章を書くことでわたしたちは自分の存在を肯定し、自分の人生の筆者となることが出来る。

では何故心的外傷(トラウマ)は筆記を難しくするのだろうか。理由のひとつは何かを思い出すという心の行程に少なからず心的外傷(トラウマ)的な情動が伴うからだ。当たり障りのないことを書き殴ったりすることがなんとなく良さそうに思えてもそれがいつまでも心的外傷(トラウマ)的な情動を伴わないのならその筆記作業には意義がない。

解離に関する記憶の特徴を一言で言えばそれを思い出すと心が壊れそうになるという感じだが、ある記憶の情動が自己制御不能であるならばそれは間違いない。DIDはその記憶こそを筆記すべきだ。その筋が真っ当な自己領域の輪郭だと言えるだろう。

調査好きなわたしは筆記療法のハウツーを調べ続けローラ・A・キング「痛みの伴わない改善はあり得るのか?ー筆記表出と自己制御ー」という論文を見つけた。

この論文は『カタルシスを引き起こし心的外傷(トラウマ)を分析して自己洞察へ至るプロセスに悲しみは絶対必要である』という従来の考え方に疑問を示すものである。『涙の数だけ強くなれるよ』と歌う歌手が居たけれどあれ本当なのかという理論を展開しているのだ。

ネガティヴであれポジティブであれDIDはその近くへ行くだけでかろうじて保っていた僅かなコントロールを失い掛けるのだ。やっとの思いで近づいた記憶の丘でもうひと踏ん張りだと辺りを見下ろし、1番深くて1番怖い穴を見つけ出し、これが治療だ仕方がないのだとそこにもう一度飛び込ませるなど無理難題にも程がある。

DID患者3百人に『涙の数だけ強くなれるよ』という歌を聴いてあなたはどう感じますか、とアンケートを取ってみればいい。患者たちの大半はその胡散臭いの背景にそれぞれ個別のイマジネーションを膨らませるだろう。まあそれならばこの歌は治療的かもしれないけれど。

この論文の筆者は健常の成人に将来起こるかもしれない心的外傷(トラウマ)をイメージしてもらいそれに対処するための筆記表出をさせた。”想定出来る”という時点でそれは心的外傷(トラウマ)ではないのだがサンプルとなった人々は逞しい空想力で未来の自分のネガティヴ感情を見事に描き出し、かつまたそれが未だ起きてはいない将来的なことであるということで未然に回避すべく、相応の個別の挫折へのルートを断ち切ることが可能だと判断し、強い意志を持ってそれを克服する決意を持つことすら出来た。

この実験はじっさいネガティヴ感情のすぐ近くにポジティブ感情があることを証明した。将来の失意を空想すること、つまり否が応でもその逆境を克服しなければ自身の生存が危ういという状況を思い浮かべる。そんな時ヒトは100%ポジティブ感情で対応するだろう。生きるか死ぬかの局面で悲劇の主人公になってカタルシスを待つ余裕はない。

これは心理学的設定上架空のものでこの論文はおそらくDID患者を想定していないと思う。

DIDの治療者はDID患者が何かを思い出したくないのレベルのあまりの強さにいつもガッカリしているかもしれない。意を決して診察に携えてきた告白文書のあからさまな嘘や的外れに腹をたてるかもしれない。

DID患者の模範的な筆記療法はマイメモリーの一貫してポジティブな脳天気な想起に尽きる。

それは全地球でわたしにだけ起きた、他に類の無い不幸な出来事だが、わたしはあの手この手でなんとか生き抜いてきたので今生存している、などとわたしは書く。

これだけだって心拍数も上がるし、なんだか何処かへワープしそうで言い知れない不安である。

そんなときは、先生にだけ言いますがわたしはときどき瞬間移動することが出来るのです、と書くことにしよう。

この嘘つきめ、と主治医が笑ってくれればこんなに嬉しいことは無い。主治医が泣いちゃったら患者はどうすればいい。ポジティブポジティブ。

筆記療法は患者の心に真実の自分を取り込む入り口となる。わたしは不幸を足で踏みつけて作った足場で高みに登る。不幸もきちんと積み上げて馴らせば堅牢な土台となるものだ。諦めないことだ。ポジティブ記憶を探そう。そして書いた分だけ強くなれるよと嘘くさい歌を歌おうではないか。