解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

「発作」について〜⑤

https://open.spotify.com/track/7olInnJHar21gYxiAvz99p?si=boi2aho1R0W1SYepAO5KEgコクリコ坂ここ寂しい。あっち側に行きたいのこっから出られん。やっぱ無理なんかな。

「発作」について〜④

https://open.spotify.com/track/6brWjGxo6qZprpwPyYjKCe?si=43h33E68SgGoEIlTWdRVfQスピッツ'へちまの花'リキッド状のリスパダールを飲んで泥の様に眠る。もう誰も困らせたくはない。誰のことも振り回したくはない。

「発作」について〜③

https://open.spotify.com/track/7I2UqW3SoA70eSp1fYTyOX?si=ZWDDxlI4Qkume2RC_yrloAディック・リー'all my nightmares'愛されたい。世話されたい。注目されたい。「(中略)幼少期の虐待や外傷のため養育環境が劣悪で、思春期以降、度重なる自殺企図や自傷行…

「発作」について〜②

https://open.spotify.com/track/23oGrL9f69Jx1F0SK5d7mv?si=OaoGPGFKSxK8eKtchJCPTgスピッツ'ブービー'転院という一大イベント。特に当てはないが自宅から通えること、専門医が居ることなど制約がないわけではない。だけど前向きに考えている。「解離当事者…

「発作」について

https://open.spotify.com/track/1AsLOHNlBlBVPrROZdfxu1?si=pZUShYVPTqOxdS02pTdgJgofficial髭ダンディズム'rolling'真夜中に交代人格たちによる発作。記憶は途切れ途切れ。闘いは続くが諦めはしない。だって私は独りぼっちではない。けして孤軍奮闘ではな…

別れ

https://open.spotify.com/track/2qdLHldd6a7HBItxxfBcwl?si=C_kdRxZ-RYCOuvp2kSv6-Q大橋トリオ'忘れない'誰かと別れることは寂しいはずなのにDIDである私はこれまで寂しければ寂しいほどその感情を塗り消して進んできた。だからこのたびのこの別れの余りの…

安定

心置きなく語る事の出来る隣人の存在。創造的な活動を続けること。社会的、実践的、倫理的な分野に於ける他者への奉仕活動。誓い。私の破綻を食い止めるいくつかの事柄。

脳の声

これは脳の声だとわかっている。愛すべき脳の人々。脳の声が異常な事態だとは今でも思われない。だからそれこそが異常事態なんだよ、と脳の声。

お知らせ

これまでfridayusaoのブログを読んでくださってありがとうございました。このたびブログを引っ越しました。相変わらずの偏屈で拙い文章ですがお暇な時にでも覗いてみてください!どうか皆さんお元気で! http://marihakobo.jugem.jp/

芸術療法〜(32)モズク採り

モズク採りが単純に脳に良いということではない。 わたしは沖縄でモズク採りをしたその日、浅い海でゆらゆらと繁茂するモズクを手でちぎって、そのままその場で食べたのである。例えば栽培農家がりんごやイチゴを観光客に食べさせるレジャーがある。これまで…

芸術療法〜(31)海

海に入る。砂浜を水平線へ。じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ。しばらく歩く。潮の引いた海は至る所くるぶしほどの浅瀬ではあるが、前方も後方も確かにそこは海であり、右も左もそれは海であった。 わたしは足元の水面の揺らぎを見た。水面は揺れていた。不均一に…

芸術療法〜(30)胡瓜

わたしは胡瓜がとても好きなので胡瓜を買った日は胡瓜のことをしばらく考えている。何故自分がこんなにも胡瓜が好きなのだろうということや、胡瓜ってどうしてこんなに美味しいんだろうとかそういうことです。 10年以上前のことだがわたしには胡瓜嫌いの友人…

芸術療法〜(29)遠吠え

狼の遠吠えみたいにやってみようか。声楽教師が言った。やってみる。1発目は失敗。二投目やや良し。狼オオカミおおかみ。念じながら吠えてみる。なんとなくこれは遠吠えである。吠えることのなんと気持ち良いこと。 熊の足跡と爪痕で腰を抜かしたわたしは何…

芸術療法〜(28)人形を作る

大量のワイヤーを頂いたのでワイヤーを骨にした人形を作った。昨日は這い熊を作った。這い熊というのは四つ足で踏ん張る野性味のある熊のデザインのことで、木彫りの熊デザインのひとつ。 最初に作ったのは二足歩行をする兎の人形だが大きな蝶ネクタイを付け…

芸術療法〜(27)眉(まゆ)

街角で、雑誌で、わたしは人の眉を見る。濃い眉、薄い眉。厳しい眉、優しい眉。眼のすぐ上にあって凛々しく眼球と連動して働く眉があり、おでこの真ん中で堂々と顔の1パーツとして独立を果たして、何事にも動じない眉がある。 四国の徳島には眉山という名の…

芸術療法〜(26)脱力

春の林道を1時間ほど走る。斜面に作られた段々をテンポ良く降りる。右左右左。左右に体をふりながら飛び上がっては脱力して降りる。ダンシン。思わず浮かれる。 僕のォうちの牛もォ、君のォうちの豚もォ、らららお洒落してェ、ららら踊ってるゥ。藤山一郎の'…

芸術療法〜(25)気象

天気図というものがある。ラジオから流れる数字を一覧表にせっせと記載する。終わったらそれを地図に記してゆく。風向は音符の羽根みたいなやつで風力気圧は数字をそのまま書く。 等圧線は大体この辺りかなというところにフリーハンドで緩やかな線を描く。こ…

芸術療法〜(24)顔

最近自分の顔を鏡で見ることが増えた。わたしは発声が暗いらしい。もっと明るいアの音を、イはイーとハッキリと。友人の声楽教師は鏡を見ながらやってみてと言った。 鏡の中には不自然に口角を上げた志村けんみたいな人がいた。そうじゃない、顎を引くの、友…

芸術療法〜(23)降り積もる

友人が一緒に窯巡りに行こうと言った。窯はパン焼き窯ではなく器の方だった。友人は織部焼が好きでわたしも作家の失敗作だという織部焼の鉢をひとつだけ持っている。 織部焼のことは何も知らなかった。織部焼のあの独特の緑色やちょいちょいと金釘に描いた鳥…

芸術療法〜(22)青色

浮世絵の刷り師たちは紺が高価だったのでオランダからの輸入の鉱物の青を用いたという。浮世絵は日本ではありふれた紙切れだったがある日浮世絵が割れ物の緩衝材として荷物に詰められていた。それはくしゃくしゃに丸められていた。浮世絵はいわば漫画のよう…

芸術療法〜(21)爪の形

長年だ。生まれてからずっとである。わたしは自分の手が嫌いであった。その反動だろうか。他人の手をつい見てしまうのだ。ゴツゴツした手、細く華奢な手。大人なのに小さい手、外見の割に大きな手。 かのショパンは一見ゴツくて小さな手をしていたそうだがそ…

芸術療法〜(20)固める

ニョッキを作る。大雑把に分けて北イタリアのニョッキはチーズソースで南の方のニョッキはトマトソースだと覚えているが、トマトがないのでチーズソースのニョッキを作る。 ニョッキは固める。蒸してほぐしたジャガイモ2個に小麦粉をカップ1ほど。塩を少々。…

芸術療法〜(19)土

手の中に入るほど小さくて四角かった。角が砕けていた。中庭の井戸の脇に水色の角タイルがごっそりと落ちていたのだ。ひとつひとつを手に取って、長いあいだ眺めていた。 タイルというものが土を練って釉を掛けて焼いた陶板であることを子ども時代は全く知ら…

芸術療法〜(18)旋律

今週から16世紀イタリアのマドリガーレ、カッチーニの”アマリッリ”を歌っている。まずは歌詞の読み方から。イタリア語の母音は日本とほぼ同じで5つ。マドリガーレって知ってる?友人であり今はわたしの声楽教師である彼女がある日わたしに言った。 マドリガ…

芸術療法〜(17)寄棟造

屋根は頭上にあって地面から屋根を見上げても屋根の全貌はわからないことが多い。坂の上から、または橋の上から遠くの家々を見る。屋根たちは空へと繋がる空中へとそのカタチの意匠を景観の一部分となって主張する。 正式な定義を知らないが感覚として寄棟屋…

芸術療法〜(16)ランドスケープ

景観ではなくランドスケープとしたのは景観はやや眺める側の視点や抒情を感じさせ、ランドスケープは景観を構成している特定の建物、道路、植物、人物等、それ自体に焦点を定めていると思うからである。 それでも今書こうとしているのはわたしにしか見えない…

芸術療法〜(15)切妻造

平入りという。切妻の斜め屋根の軒下に出入り口のある家のことである。京町家。長屋。数世帯が軒を連ねる。 わたしが憶えている平入りのその古い家は隣との仕切りは壁一枚であった。子ども時代、真夜中壁一枚挟んだ隣家で若い女が繰り返し殴られる騒動を聞い…

芸術療法〜(14)屋根

屋根を描くことに兎にも角にも手を付けた。いつ頃からだろうか。ある時わたしは屋根を見ていた。立ち止まり屋根を見たのだ。その日から今日まで、脳内には膨大な数の、わたしがこれまでに見た沢山の屋根メモリーが存在している。 わたしは何故それほどまでに…

芸術療法〜(13)明暗

精神科とは精神病院のことだが精神病院という言葉の響きはとても重い。単にそれは言葉の持つ印象であるがこの4文字に重厚な悲劇的イメージをわたしは抱く。 このところ芸術療法などと格好良い呼び名をつけて文章を垂れ流しているが要するにわたしという個人…

芸術療法〜(12)色

万年筆で描くことにこだわるのは何故だろう。万年筆が好きな理由をああでもないこうでもないと考えている。ペンという語の語源はラテン語で羽根、ペンナという語であるらしい。わたしは鳥の羽根ではなく金属のペン先で描いているけれど。 ペン描きには不備が…