解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(27)眉(まゆ)

街角で、雑誌で、わたしは人の眉を見る。濃い眉、薄い眉。厳しい眉、優しい眉。眼のすぐ上にあって凛々しく眼球と連動して働く眉があり、おでこの真ん中で堂々と顔の1パーツとして独立を果たして、何事にも動じない眉がある。

四国の徳島には眉山という名の山があるという。眉のような山だという。山が眉に似ているとはいったい。眉山は壮大なる眉である。いつか眉山を見てみたい。

毎日毎朝鏡を見ては自分の眉毛を描く。太めの色鉛筆のようなもので薄くぼんやりと色を付けるように描くときもあれば、細い筆の先で一筋の鋭利な線を引くときもある。黒から薄茶まで色もいろいろ。

厳密には眉毛を描くのではない。自前の眉毛を整えているのだ。行き場に迷っている。季節を失った箱庭の雑草のような、わたしの眉はそんなである。それでも加齢でハリのない冴えない顔付きを当て所なく飾る。わたしの眉である。

それでいいさ、可笑しなままさと脳の声に応じてみる。眉はいったい何のためにあるのだろうとかそんなことも考える。そして今日は眉尻の眉毛の先をカットした。すると顔が何処と無くきっぱりとなった。きっぱり。何とはなしそこには強い風が吹いているような顔になったように思ったりして。

芸術療法〜(26)脱力

春の林道を1時間ほど走る。斜面に作られた段々をテンポ良く降りる。右左右左。左右に体をふりながら飛び上がっては脱力して降りる。ダンシン。思わず浮かれる。

僕のォうちの牛もォ、君のォうちの豚もォ、らららお洒落してェ、ららら踊ってるゥ。藤山一郎の'ビヤ樽ポルカ'を歌う。なんだそりゃと同行の友人が笑う。その昔藤山一郎は学生時代に学校にバレないよう偽名でデビューしたという。

そのとき友人がこれはなんだと言った。躍りながら降りた段々をもう一度登り、わたしは友人が指差した地面を見た。一本の木の周りの土が重機かなにかで荒らしたかのように生々しく掘り返されていた。

重機でしょ。この辺りを伐採したんでは?わたしはそう言って再び牛と豚の唄に戻って段々を脱力しながら降りた。少し遅れて友人が降りて来る。県道に出た。その朝いつもより一層友人は口数が少なく辻で我々は別れた。

その夜友人から写メ。友人はだいぶ調査したらしい。我々が見たのは蹤いたばかりのツキノワグマの足跡であった。その夜半の春の嵐は翌日には晴れて正午すぎ我々はもう一度林道を探索、足跡は激しい雨嵐で消し去られていたが林道傍の木に荒々しく刻まれたツキノワグマの爪痕をiPhoneで写真に撮りその足で自然公園の詰所へと出向く。

3人の作業服姿の市職の人たちが我々も林道を調査します、ありがとうございましたと頭を下げる。ひとりの男性がわたしに言った。熊は穴を掘りますか?わたしは少し考えて掘りませんね、と言った。

この数年ドングリの豊作が続いている。どうやらツキノワグマは増えているようだ。帰宅後、熊を撃つのかあいつらは撃つのかと脳内が騒がしかった。頭と体の緊張がなかなか去らない。脱力を、脱力をしなければ。

翌日内科のクリニックで痛み止めを処方してもらうことにした。あのうじつは大変なことがあって体があちこち痛くなって。どうしたの?ランニング中に熊の足跡と爪痕を見ちゃったんです。うへえ、怖いなあ。ドクターが軽口で返したそのときわたしは再び緊張が高まった。

‥‥良い熊だっているんですよ、山のものを、良いものだけを食べている、良い熊の証拠としての、良い糞があの林道で見つかりさえすれば‥‥。ドクターがキーボードを打つのを手を止めてゆっくりとわたしを振り返った。

カロナール他いつもの処方剤をカウンターで受け取り帰宅。ソファーになだれ込む。ようやく訪れた脱力であった。

芸術療法〜(25)気象

天気図というものがある。ラジオから流れる数字を一覧表にせっせと記載する。終わったらそれを地図に記してゆく。風向は音符の羽根みたいなやつで風力気圧は数字をそのまま書く。

等圧線は大体この辺りかなというところにフリーハンドで緩やかな線を描く。こんな感じですか。わたしが提出した天気図を理解の教員はとても褒めてくれ、わたしはそれが嬉しかったのか天気図を描くのに夢中になった。

等圧線と等高線はすごく似ているが等高線と違い等圧線が示した高い低いは空を眺めてもまるで見えない。前線を描く。ここは嵐になりますよ、という三角のギザギザの線である。やはり前線も天気図上の印である。わたしはまだ空に前線を見たことがない。

思いつくまま、白い便箋にオリジナルで模様を描く。ある日それがいつかの等圧線にそっくりだと気付いた。北北東に若干張り出し気味の曲線が緩やかに南下し真南で何かを吐き出す。方向転換。南西に掛けて大きく湾曲した線はすごく自然に始まりの地点で合流する。

ここは風が吹いている。ここで急に温まって雲が発生する。重い線。速い線。わたしは空を見上げる。空には何も見えないが気象が存在しているとはなんと不思議な。白い便箋の万年筆の渦巻きは実は風と雲なんである。

芸術療法〜(24)顔

最近自分の顔を鏡で見ることが増えた。わたしは発声が暗いらしい。もっと明るいアの音を、イはイーとハッキリと。友人の声楽教師は鏡を見ながらやってみてと言った。

鏡の中には不自然に口角を上げた志村けんみたいな人がいた。そうじゃない、顎を引くの、友人が言う。そうそれから肩の力を抜くの、それでイーって言ってみて。言われた通りにやってみるのだが声などひとつも出ない。

顔を作ることと声を出すことが両立出来ない。耐えきれなくて目を閉じてイー。ううん違うの、首に筋を立てないで、ねえ鏡をちゃんと見て、肩甲骨に窪みが出来てる。鶏じゃないんだから。

友人も必死だがわたしは何を間違ったのか。やればやるほど正しい顔というものからは遠ざかっていくように思えた。

真面目なわたしは帰宅後も顔を作ることに熱心だった。iPhoneで自撮りをする。少しでもいい顔だと思えたら撮る。何枚も撮った。なかなか良い。悪くない。何枚かの自撮りを娘にLINEした。すると娘の1人はわたしの自慢のアルカイックスマイルを人をひとり殺してきたような顔だと言った。

気を取り直してわたしは自撮りを続けた。殺してない、そう声に出してみる。あたし誰も殺してない。すると肩の力がすっと抜けた。殺してないかそれは本当か?首の筋が消え口角はさらに上がった。これ怖い顔やけどこれがきっとあたしの顔。わたしはちょっと嬉しかった。

芸術療法〜(23)降り積もる

友人が一緒に窯巡りに行こうと言った。窯はパン焼き窯ではなく器の方だった。友人は織部焼が好きでわたしも作家の失敗作だという織部焼の鉢をひとつだけ持っている。

織部焼のことは何も知らなかった。織部焼のあの独特の緑色やちょいちょいと金釘に描いた鳥文様を眺めていた。気になって調べてみたら織部焼の織部とは戦国時代の武将の名前だった。織部さんは織部なにがしではなく古田織部といった。織部というのはファーストネームだったのだ。

古田織部は40歳で茶の湯デビュー。遅咲きのアーチストである。しかし本職はお武家様なのだ。関ヶ原では東軍であったが夏の陣では豊臣の密告者として切腹をした。

織部焼は種類が豊富。青織部などは北大路魯山人も使った。青織部とな。織部は緑色のはず。あれこれ調べたところモダン織部なる皿を見た。白い皿にキウィソースのように緑の雫がランダムに垂れていた。

古田家は断絶したが織部焼は復刻した。今日スタンダードとされる瀬戸物の釉薬をいくつか眺めている。ハングリーで反骨な黄瀬戸や古瀬戸、モダンな志野と織部、イマイチよくわからない御深井(おふけ)。

先日友人と共に愛知県瀬戸市赤津地区へと出向いた。窯巡りの下見である。わたしの脳内に容赦なく降り積もる色と形。ミスター織部が生きていたら。降り積もるイメージ。釉薬の液溜まりが光を含んで美しく輝いた。

芸術療法〜(22)青色

浮世絵の刷り師たちは紺が高価だったのでオランダからの輸入の鉱物の青を用いたという。浮世絵は日本ではありふれた紙切れだったがある日浮世絵が割れ物の緩衝材として荷物に詰められていた。それはくしゃくしゃに丸められていた。浮世絵はいわば漫画のような線画である。そのフランス人は浮世絵を丁寧に広げて長いあいだ眺めた。

青色が好きで色鉛筆の青がすごく減る。子ども時代群青色という呼び名を覚え一日中群青色群青色と言って歩いていた。群青はその色と呼び名の響きがピッタリ合っていた。

縹(はなだ)色という色を覚えたのは大人になり草木染めを教えてもらったときだった。薄い青色は陽に当たるたびに退色した。縹というその青は誰の言葉も聞かずひたすら消えてゆこうとする青だった。

初めて海に潜ったときの海中も青かった。そこは洞窟の中だったのでそれは空を映している青ではなく水温が低くプランクトンが少ない特殊な海の青だ。マリンブルーはわたしの手や体が染まりそうな青だ。

背景として塗るときの空の青は明度が高く彩度は低い。空色と青空では言葉の持つ色の印象が少し違う。青空。青空。わたしの青空貴方の青空。空の青というものはじっさいに空を見上げなくてもいい。目を閉じてもそこにある青だ。

芸術療法〜(21)爪の形

長年だ。生まれてからずっとである。わたしは自分の手が嫌いであった。その反動だろうか。他人の手をつい見てしまうのだ。ゴツゴツした手、細く華奢な手。大人なのに小さい手、外見の割に大きな手。

かのショパンは一見ゴツくて小さな手をしていたそうだがその小指がとても長かったそうで鍵盤は軽く10度は届いたという。もっともショパンが今のフォルテピアノを弾いていた可能性は低い。ピアノそのものも小型であった。

わたし自身ピアノを弾いたりギターを弾いたりするようになって自分の手が節くれてデカいことを疎ましく思うことが減った。そしてピアノ弾きとギター弾きは両立しない。スチール弦で指先が硬化してしまうと鍵盤上は困ることが多い。

占い師をしていたとき超短時間で客を捌かねばならない場面では手相も鑑た。宴会場で、とか、あのうちょっとお願いしますとかいうイレギュラーな場面でわたしは時々、先ずは客の手をギューと強く握ることをした。

誰から伝授された訳でもない。相手は初めて出逢った誰かである。即座に信頼関係を結ぶにはこの方法は効果的だった。わたしのまるで作り物のような大きな掌がそんな風に如何なる場面でもアドバンテージを保てたのだ。

わたしは最近わたしにだけ与えられたこのわたしの手をじっと見ることが増えた。長く瓜実型に爪を伸ばした細い指への憧れは今もあるが大きな手指の先にある小さな爪にカラフルなネイルを塗るのが最近の愉しみだ。

ネイルを塗りながら手に対してのバランスのおかしな、ほんの申し訳程度の小さな爪をじっと見る。四角い爪。右手の爪たちは左手の爪たちより若干大きいが左手そのものは右手より僅かに大きいのだからわたしの手は手そのものが言うなれば奇形と言うしかない。

濃い青、または濃い黄色。爪を塗り潰す。ふと今はもうわたしは自分の手をそんなにも嫌ってはいないことに気づくのだ。変な手。そんなことを呟きながら丁寧に丁寧にネイルを施す。

芸術療法〜(20)固める

ニョッキを作る。大雑把に分けて北イタリアのニョッキはチーズソースで南の方のニョッキはトマトソースだと覚えているが、トマトがないのでチーズソースのニョッキを作る。

ニョッキは固める。蒸してほぐしたジャガイモ2個に小麦粉をカップ1ほど。塩を少々。はじめはスプーンで、混ざったら両手で。ジャガイモがまだ暖かくてなんだか泣きそうになる。

わたしのニョッキは材料はこれだけである。水や卵は入れない。入れてもいいと思っているがニョッキを作ろうと思うときにはたいてい卵が無いのだ。ギュウと力を入れて白い塊を固める。

あれほど固めたはずのニョッキなのに茹でて食べるとびっくりするほど柔らかくてふわふわしている。だから'固める'ではなく'まとめる'なのかと思うけれどいや違う'固める'なのである。

固めたいのだ。脳内を固めたいのだ。わたしの忌まわしい脳内を白く好ましく柔らかな固まりにしたいのだ。そしてニョッキは食べてみないと解らない。そういう者にわたしは成りたいのである。

芸術療法〜(19)土

手の中に入るほど小さくて四角かった。角が砕けていた。中庭の井戸の脇に水色の角タイルがごっそりと落ちていたのだ。ひとつひとつを手に取って、長いあいだ眺めていた。

タイルというものが土を練って釉を掛けて焼いた陶板であることを子ども時代は全く知らなかった。このポンコツのタイルたちは何のためそこにあるのかもわからなかったし、今もそれはわからないまま。

四角を描くのが好きである。不完全な円を描くと途端にアタマがイライラするがいびつな四角をフリーハンドで描くと逆にどこか気持ちが和らぐ。

数寄屋造の家屋には四角がふんだんにある。欄間や障子の桟。縦にスライスした竹を聚楽で丸くぬいた間仕切りの中央に数本。竹もその骨には四角がある。

あの日拾ったタイルの表面。乾いた土を指で拭うとぷっくりと膨れた水色が硝子のように透き通って光を通して美しかった。造作無く地面に捨てられた沢山のタイルたち。それは今まさに地面から掘り出されたかのようだった。そしてタイルはもとは土だったのだ。

芸術療法〜(18)旋律

今週から16世紀イタリアのマドリガーレ、カッチーニの”アマリッリ”を歌っている。まずは歌詞の読み方から。イタリア語の母音は日本とほぼ同じで5つ。マドリガーレって知ってる?友人であり今はわたしの声楽教師である彼女がある日わたしに言った。

マドリガーレとは当時ヨーロッパで起きたムーブメント。ラテン語一辺倒の教会音楽ではなく自国語で、自分の歌を歌いあげようというもの。まさか自分が伝統的なマドリガーレをこうして練習する日がくるとは思ってもみなかった。

”アマリッリ”は高音からはじまる。歌詞の内容はどうやらベタなラブソングである。わたしの練習法は単純極わりないもので、録音した彼女の歌声をそっくりそのまま真似るというものだ。

ヒトはひとりひとり骨格も歯並びも骨の大きさも違うから。彼女曰くわたしがとれだけそっくりに真似ようとしたところでそれは出来ない相談だと。

前回のオペラ曲のアリアでの苦闘。やはり出来なかった。わたしのひねり出す旋律は甘ったるくて押しつけがましいのだ。ここは芳醇に威風堂々と!彼女のオーダーは厳しかった。わたしという人間にはリッチな要素が皆無であることが判明した。

無いモノは出せんな。わたしは苦笑い。‥‥在る振りだよ、持ってる振りだよ、それが歌うたいさ。彼女がポツリと言う。

そうだわたしは歌うたいになりたい。歌うことで変わって行きたい。そんな願いが幾度となく芽生えるのだ。リッチなものなど何ひとつない。何もかもが崩れ落ちてゆく為すすべなく手遅れで枯れてゆく速度にもけして負けない'どうしても'の心の景色をわたしはそんな風にして見るのである。

アマリッリアマリッリ。歌ってみる。んー演歌になっちゃう。わたしは苦笑い。消さないよ、残そうよ、マミちゃんの演歌。友人が笑った。