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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(16)ランドスケープ

景観ではなくランドスケープとしたのは景観はやや眺める側の視点や抒情を感じさせ、ランドスケープは景観を構成している特定の建物、道路、植物、人物等、それ自体に焦点を定めていると思うからである。

それでも今書こうとしているのはわたしにしか見えないランドスケープである。細い長くて薄暗い長屋の土間の果てに小さな木製の扉がある。扉は外開き。わたしは自分で扉を押して外へ出た。そこは背面の長屋との共同の庭であった。広いとは言えない中庭の向こうには向こう側対面の長屋の土間への入り口の木戸が見える。

精神病者の回復とはなんであろうか。回復と呼べるまでの課題は多い。病んだ脳内を白黒の世界、もしくは氷の世界と言うことがある。冷たくて色の無いわたしのランドスケープが温もりと色彩を持つのである。

土の上を素足にビーサンで、わたしは一歩一歩進む。若い緑の畑には葉物や唐辛子。季節は初夏である。人が見える。輪になってしゃがんでいる女性たち。口々に語り合い笑い合う。そこに夜になれば殴られて悲鳴を上げる隣家の女性を見つけた。彼女らは敷地内の井戸で野菜を洗っているのだった。

わたしは女性たちを遠くから眺めている。これがわたしが描きたいランドスケープなのか。この景色が?屋根は切妻屋根、平入りの平出の木戸、中庭には畑と井戸。わたしは必死である。屋根は切妻屋根、木戸を出る。

歩くのである。土を踏みしめてわたしは畑の緑をかき分けるようにして井戸へと辿り着きそこに隣家の女性の生存を確認する。わたしの描きたいランドスケープはそれだったのである。

芸術療法〜(15)切妻造

平入りという。切妻の斜め屋根の軒下に出入り口のある家のことである。京町家。長屋。数世帯が軒を連ねる。

わたしが憶えている平入りのその古い家は隣との仕切りは壁一枚であった。子ども時代、真夜中壁一枚挟んだ隣家で若い女が繰り返し殴られる騒動を聞いてわたしはなかなか寝付けなかった。

「眠りの精」というドイツ民謡がある。「砂の精」とも言うその優しい子守唄をわたしは知っている。眠れない子どもに眠るための秘薬の砂をふりかける眠りの精。眠りの精は空を飛んでやってくる。そして窓から子どもの様子を伺うのだ。

長屋のことをうなぎの寝床と言ったりすることがある。玄関を入るとまっすぐに土間が続いていて、壁に沿って浅い溝がありそこをちょろちょろと少ない水が流れていた。

昼間でも暗い土間を歩いて進むと時折溝を何か小さな生き物が走っていった。萱鼠である。

夜が来る。悲鳴を聞くのが恐ろしくても屋根続きの長屋には逃げ場はない。殴られているのはわたしでもわたしの家族でもないというのにわたしは夜の間苦悶し続けていたものだ。出来ればわたしは1匹の萱鼠になりたかった。そうであれば溝を走り抜け中庭へ出ることが出来る。たとえ汚水にまみれようともここで朝が来るのを待つよりはマシだと。

切妻造の長屋の出入り口は軒下だがわたしの扉はそこにはない。ある夜わたしは空を飛んでいた。夢だったのだろうか。遥か上空であの三角屋根を見ていた。

眠りの精が来なければわたしがなってみせようと、そんな空想をしたのだろうか。長屋には窓がないというのに。ネズミは空を飛べないというのに。

芸術療法〜(14)屋根

屋根を描くことに兎にも角にも手を付けた。いつ頃からだろうか。ある時わたしは屋根を見ていた。立ち止まり屋根を見たのだ。その日から今日まで、脳内には膨大な数の、わたしがこれまでに見た沢山の屋根メモリーが存在している。

わたしは何故それほどまでに屋根を見つめたのだろう。屋根は家屋敷に無くてはならないものである。雨風を防ぎ、灼熱の陽射しに影を作り、天井を貼ればそこは屋根裏部屋となる。集合する住居の屋根の景観はその地域に独特の風景を作ることがある。

また屋根材には一長一短がある。優れた機密性に反して結露で腐食してしまう素材もあれば消耗が激しく定期的に作り直さねばならない屋根もある。降り積もる雪が塊で落下しないように傾斜をつけた屋根があり、人がそこで夜空を眺めるときに落っこちないように周囲に欄干を巡らせた屋上屋根がある。

果たしてこの世界にパーフェクトな屋根というものがあるだろうか。わたしは知らない街を歩くとき家々の屋根を見つめてはそんなことを考える。

今どきは雨漏りをする家はないのかもしれないがFLライトは幾つもの雨漏りする屋根をデザイン施工したというのを先日読んだ。君雨漏りをするではないかというクレームに対し、雨晒しにしているのですから仕方ありませんと答えたという。

よくわからないがそんな記述を読むと屋根は家の一部であって、家というものは人が建てるものなんだなと改めて思うのだ。

屋根について考えることがわたしの脳内の何かを鎮めている。散歩中建築現場を通り掛かり、上空で屋根を葺く人足衆の格好良さに見とれること。これもまたわたしの芸術療法のひとつなんである。

芸術療法〜(13)明暗

精神科とは精神病院のことだが精神病院という言葉の響きはとても重い。単にそれは言葉の持つ印象であるがこの4文字に重厚な悲劇的イメージをわたしは抱く。

このところ芸術療法などと格好良い呼び名をつけて文章を垂れ流しているが要するにわたしという個人の内面の変化を記しているだけであり、わたしは日々内面で壊してはまた作る、を繰り返している。

何かに影が出来るということは実はそこに光が注いでいる証拠でもある。写実的な絵を描くとき見えている場面の目の前の物体の背後にあるはずの影を見出し、その輪郭を描くなら途端に絵が現実味を帯びる。

影を描ける人には光が見えていると言える。そして赤や青といった色も光の輝きの違いから生じているらしい。色彩過敏の脳を大袈裟に言うとじっさいは光過敏と言えるかもしれない。

建築に詳しい友人がわたしにはいるが彼女はもしも自由に家を建てられるとしたらどんな家に住みたいかという話が好きだ。正直わたしは建築にはまるで興味が無くてただ彼女をがっかりさせたくなかったからいつも適当に思いつく適当なかたちの家の話をした。

最近はっきりと自分の好みがわかってきた。先ず何より精神病院みたいな建物は嫌だ。細かくいうと等間隔に並んだ小さな四角い窓に鉄格子が付いている。あれさえ無ければどんな家でも良い。

窓はとても大切である。電気が普及する前の時代には窓は蝋燭や暖炉の炎以外の天然の光源であった。

絵を描くようになり、相変わらずはっきりとした色彩は苦手だが影の輪郭を描くことが愉しいとわかった。そしてその影を真っ黒に塗り潰したい。

今日も部屋の中や窓の外など、そうか光がこっちから差しているから影がこんな風に出来ているんだな、という感じに宇宙の果て、太陽光の為せる地上の闇の輪郭を見つめている。影は光線がそこにあることの証拠である。

芸術療法〜(12)色

万年筆で描くことにこだわるのは何故だろう。万年筆が好きな理由をああでもないこうでもないと考えている。ペンという語の語源はラテン語で羽根、ペンナという語であるらしい。わたしは鳥の羽根ではなく金属のペン先で描いているけれど。

ペン描きには不備がある。じーっと線を引く。わたしのペンでかいた一本の線には太いか細いかしかない。鉛筆や水彩絵の具の持つ味わいというもの、音で言うところのトーンというものがないのだ。黒く塗りつぶすことも出来るけれど塗りつぶしてしまうなら明暗や陰影の変化の表現とはならない。

羽根ペンで描いたことがないので羽根ペンのことはわからない。わたしは筆圧を強くして線を徐々に太くしたり、極小の点を繋げるような描き方で細い線を描くときもある。時間も労力も必要な作業である。わたしは何故ペン描きにこだわるのだろうか。

率直に言ってわたしは色が苦手である。もう何年も色について考えている。色が苦手なんだよと人に言うとき林檎の赤、樹々の緑、桜の花の薄桃色を美しいとは思わないのかと諭されることがある。

美しいと思う。1番美しいのは白である。白はいい。雪や霜、入道雲や飛行機雲。もしも其れ等が全てカラフルな濃い色あいだったら本当に弱ってしまうだろう。

白いものはたくさんある。白いもの。ホーロー鍋と割烹着。銭湯で売ってるタオルにビジネスホテルのベッドのシーツ。木綿豆腐、牛乳、グラニュー糖、片栗粉。ココナツミルク、食パン、肉まん、うどん。ご飯、お粥、お餅。みんな白くて素晴らしいんです。

色は要らない。色はうるさい。わたしは心の奥の方ではずっとそう考えて来た。ペン描きが好きなのはそこには色がないから。

1番好きな白いものは画用紙。そういうこと。

芸術療法〜(11)空間

1月から月に2回声楽のレッスンに通っている。レッスンとレッスンの合間は自宅のリビングで1日に数回細切れの時間ひとり声出しレッスンを繰り返している。

声楽教師からその週に出されるわたしへのコマンド。それをクリアする。コマンドはそれほど多くはない。しかしたいていは困難極まりない。ある日の午後わたしは腹式発声を含む複合的な課題に果敢に挑戦していた。

腹式発声。教室でやった通りの、指示通りの手順を踏めば腹式発声はクリア。しかし彼女(友人である声楽教師)が言ったのだ。'気持ち良く息を吐く'。わたしは果たして今気持ち良く息を吐いただろうか?

気持ち良く息を吐くとはどういうことか。そもそも息は何処に入っているのだろうか。溜まった空気が少し残っているから。たしか彼女はそう言った。ここか。わたしは横隔膜を押してみた。吐いてしまうと気持ちいいでしょ。わたしは残っている息を吐き切りすぐさま吸い込んだ。

こんな風に息をするのは初めてかもしれない。こんな風にとは、こんな風に。自分の意思で自分の横隔膜を意識しながら、空気を吸い込んだり吐いたりということだ。

必死にならないで、貴女っていつも100%なんだから。そう言って彼女が笑った。どうすればいいの?80%を意識して。なるほどね。

わたしは肩のちからを抜いて8割のパフォーマンスをやってみた。腹式発声はそのやり方で数段楽になった。わたしは嬉しい。腹式発声が出来たことではない。わたしの歌は腹式発声で声を出すことでようやくはじまる。腹式発声でなければわたしは澄んだ高音を出すことが出来ない。

わたしは気持ち良く歌う。喉を開き、前方を目掛けて吐く息に音を乗せる。出始め弱小なわたしの高音は口から出たのちに1mほど強くまっすぐに伸びて、そののちは自由に空間を広がった。

長年のあいだわたしは自分で自分の身体に制約を課していたのかもしれない。気がつけばわたしは、単にそれは今は自己満足のレベルであるとしても意匠を凝らしたわたしの歌を、部屋中に響かせていた。そしてそこにはわたしの空間があった。

芸術療法〜(10)律動

リズムという言葉は軽い。リズムでは良いと悪いとのどちらかになりますでしょう。良いか悪いかを見極めんとし、長いあいだわたしは目を凝らして物を見、耳をすましてじっと潜んでいた。

わたしは自分が見えている共同世界に含まれているとばかり思いこみ、わたしは外からのパルスを受け続けた。無防備に受け続ける。たとえしたたか打ち叩くようであっても、ときには長い時間虚空に晒されようともだ。そのようにしてやってくる外のリズムを取り込んだ。

とんとんとパルスを受け続ける。とんとんと萎縮と緊張は反復した。わたしは硬化した。厚い壁の中で次第に誰かの声は遠く細くなり、瞳の温かみも歪んで見えてはいたけれど、わたしはわたしを強い力で安定させていた。それがわたしの心の圧力壁であった。

ですからわたしは良いリズムを出せません。時々わたしは歌います。わたしは何かを発します。それはリズムとは言えないのかもしれないですが、わたしはそうやって生きてきたのです。一拍遅れの不細工なリズムで、人を驚かす怪奇で過剰な律動の連なりで今日まで生きながらえて来たのです。

芸術療法〜(9)形

編みビーズをはじめた。2号のテグスで2㎜のビーズの1㎜のビーズ穴を通す決まった単純作業の反復。4つのビーズを組み上げその四角を3×3すると四角ができあがる。

点を繋げてゆく。湾曲するテグスを一定の角度でそこにあるビーズに納めて進むのだ。ビーズはテグスを待っているし一方テグスはビーズを繋ぎたく。楽しい。なんて楽しい。

昨日街へ出てふらりと入った古書店内の棚を念入りに調べていたらびっくりするようなものを見つけた。30年前の日本でのFLライト展の図録だった。千五百円。速攻購入した。

FLライトの作った建物は歪で頭がくらくらするけれど昨日図録をパラパラしながら彼の描く絵を初めて見て建築家FLライトではない、なんだか他の誰かに出会った気がした。初期のフリーハンドのドローイングはお世辞にも上手とは言えない。

彼は何故建築家になり、仰々しいお金持ちの家などを沢山建てたのだろう。魅惑的で奇妙で一目で夢中になれる不思議な景色なら重たいコンクリートで立ち上げなくともそこら中に有る。

わたしは明治村の帝国ホテルの展示以来のFLライト嫌いだったはずだが古書店の図録のドローイングを見続けていたら彼の混乱に、矛盾に、作為に満ちた反復する線の交差に魅了されていった。

とどまることなく流動する形。スクエアビーズのフラクタルを今日も増殖させようではないか。水平線の両端をテグスで繋ぐのだ。

芸術療法〜(8)反復

数日前から江戸時代の絵師若冲の図録を模写している。若冲は八百屋だったので野菜や家禽を描いた。昨日から群鶏図を描いている。たくさんの鶏の頭を赤く色付けする作業はたいへん楽しいです。

色付けは軌跡を辿るのに似ている。何も考えずに塗り絵をする。物事の操作権を放棄してただひたすらに単純な反復をするだけ。繰り返しは気楽だな。繰り返しは幼稚か。そうであれば幼稚を許されていることをしみじみ喜ばしく思うのだ。

柴山雅俊はDIDを眼差しの病理と言ったがかつてわたしはこの世界の一員になりたかった。だから周囲の眼差しの全てに対応した。そのときにはもうそれらの眼差しは眼差し以上の力を持つまでになった。わたしは眼差しの虜だった。

人間の心地よさの方位はひとりひとり異なるが日和見で矛盾した狂った方位をわたしはそうやって築いた。わたしは諦めなかった。不安定も両極端も統一した。あるときあたかも赤道のごとく屈強な横線が脳内に引かれはじめる。ここから上は赤、ここから下は黒だ。そうだけして混ざってはならない。

わたしは真にひとりであった。わたしの水先案内をしてくれる水路も磁石も自分でつくるしかなかったのだ。

脳内の圧力壁の製作は外圧からの防御ではない。わたしがそこから漏れてしまわないように。わたしの赤が枯渇してしまわないように。わたしの心のはてな素粒子が出ていってしまって帰って来ないことの無いように。宇宙的数字に膨れ上がる素粒子たちの打ち返すその反復に耐えられるだけの強い圧力壁は、そんな感じでわたしの心の奥のほうにつくられた。

芸術療法〜(7)水色

わたしは何を求めて生きてきたのだろうか。わたしと外の世界を隔てる膜を通して、わたしはいったい何を見ていたのだろう。

一般的にDID患者は疎隔で離人、同一性が混乱しているとされる。しかしながら思い返してみればそれもこれも皆全ては一方的なわたしの側の物語なのだ。

それははじめ何かがずれて見えていた。それは一本の線の歪みに似た景色であった。その膜がわたしを護っていることが駆けだしたばかりのわたしの脳が見落とした一瞬。内と外の温度差にわたしは苛ついた。それは僅かな誤差である。そしてそれは何処にでもあるあらゆるものの存在の揺らぎである。

噛み合わない歯車にいらいらした拙い心が遮二無二に救済を求める。わたしは強かったのかもしれない。手折ってきたタンポポはやがて萎れてゆくけれどわたしはあきらめなかった。

誰でもいい。萎れていかない温かさのお手本が欲しかった。人間というテキストを見たかった。傍を通り掛かりふと存在に気付いて呉れ、ああ其処に居たのかと会釈してくれれば。わたしもそんなやり取りを習得出来たと。

ケミカルレースの余白を丁寧に塗る。水色で塗る。

そこには何も無い。膜の外。何も無い空間の世界をわたしはとっておきの水色で彩るのだ。