解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(12)色

万年筆で描くことにこだわるのは何故だろう。万年筆が好きな理由をああでもないこうでもないと考えている。ペンという語の語源はラテン語で羽根、ペンナという語であるらしい。わたしは鳥の羽根ではなく金属のペン先で描いているけれど。

ペン描きには不備がある。じーっと線を引く。わたしのペンでかいた一本の線には太いか細いかしかない。鉛筆や水彩絵の具の持つ味わいというもの、音で言うところのトーンというものがないのだ。黒く塗りつぶすことも出来るけれど塗りつぶしてしまうなら明暗や陰影の変化の表現とはならない。

羽根ペンで描いたことがないので羽根ペンのことはわからない。わたしは筆圧を強くして線を徐々に太くしたり、極小の点を繋げるような描き方で細い線を描くときもある。時間も労力も必要な作業である。わたしは何故ペン描きにこだわるのだろうか。

率直に言ってわたしは色が苦手である。もう何年も色について考えている。色が苦手なんだよと人に言うとき林檎の赤、樹々の緑、桜の花の薄桃色を美しいとは思わないのかと諭されることがある。

美しいと思う。1番美しいのは白である。白はいい。雪や霜、入道雲や飛行機雲。もしも其れ等が全てカラフルな濃い色あいだったら本当に弱ってしまうだろう。

白いものはたくさんある。白いもの。ホーロー鍋と割烹着。銭湯で売ってるタオルにビジネスホテルのベッドのシーツ。木綿豆腐、牛乳、グラニュー糖、片栗粉。ココナツミルク、食パン、肉まん、うどん。ご飯、お粥、お餅。みんな白くて素晴らしいんです。

色は要らない。色はうるさい。わたしは心の奥の方ではずっとそう考えて来た。ペン描きが好きなのはそこには色がないから。

1番好きな白いものは画用紙。そういうこと。

芸術療法〜(11)空間

1月から月に2回声楽のレッスンに通っている。レッスンとレッスンの合間は自宅のリビングで1日に数回細切れの時間ひとり声出しレッスンを繰り返している。

声楽教師からその週に出されるわたしへのコマンド。それをクリアする。コマンドはそれほど多くはない。しかしたいていは困難極まりない。ある日の午後わたしは腹式発声を含む複合的な課題に果敢に挑戦していた。

腹式発声。教室でやった通りの、指示通りの手順を踏めば腹式発声はクリア。しかし彼女(友人である声楽教師)が言ったのだ。'気持ち良く息を吐く'。わたしは果たして今気持ち良く息を吐いただろうか?

気持ち良く息を吐くとはどういうことか。そもそも息は何処に入っているのだろうか。溜まった空気が少し残っているから。たしか彼女はそう言った。ここか。わたしは横隔膜を押してみた。吐いてしまうと気持ちいいでしょ。わたしは残っている息を吐き切りすぐさま吸い込んだ。

こんな風に息をするのは初めてかもしれない。こんな風にとは、こんな風に。自分の意思で自分の横隔膜を意識しながら、空気を吸い込んだり吐いたりということだ。

必死にならないで、貴女っていつも100%なんだから。そう言って彼女が笑った。どうすればいいの?80%を意識して。なるほどね。

わたしは肩のちからを抜いて8割のパフォーマンスをやってみた。腹式発声はそのやり方で数段楽になった。わたしは嬉しい。腹式発声が出来たことではない。わたしの歌は腹式発声で声を出すことでようやくはじまる。腹式発声でなければわたしは澄んだ高音を出すことが出来ない。

わたしは気持ち良く歌う。喉を開き、前方を目掛けて吐く息に音を乗せる。出始め弱小なわたしの高音は口から出たのちに1mほど強くまっすぐに伸びて、そののちは自由に空間を広がった。

長年のあいだわたしは自分で自分の身体に制約を課していたのかもしれない。気がつけばわたしは、単にそれは今は自己満足のレベルであるとしても意匠を凝らしたわたしの歌を、部屋中に響かせていた。そしてそこにはわたしの空間があった。

芸術療法〜(10)律動

リズムという言葉は軽い。リズムでは良いと悪いとのどちらかになりますでしょう。良いか悪いかを見極めんとし、長いあいだわたしは目を凝らして物を見、耳をすましてじっと潜んでいた。

わたしは自分が見えている共同世界に含まれているとばかり思いこみ、わたしは外からのパルスを受け続けた。無防備に受け続ける。たとえしたたか打ち叩くようであっても、ときには長い時間虚空に晒されようともだ。そのようにしてやってくる外のリズムを取り込んだ。

とんとんとパルスを受け続ける。とんとんと萎縮と緊張は反復した。わたしは硬化した。厚い壁の中で次第に誰かの声は遠く細くなり、瞳の温かみも歪んで見えてはいたけれど、わたしはわたしを強い力で安定させていた。それがわたしの心の圧力壁であった。

ですからわたしは良いリズムを出せません。時々わたしは歌います。わたしは何かを発します。それはリズムとは言えないのかもしれないですが、わたしはそうやって生きてきたのです。一拍遅れの不細工なリズムで、人を驚かす怪奇で過剰な律動の連なりで今日まで生きながらえて来たのです。

芸術療法〜(9)形

編みビーズをはじめた。2号のテグスで2㎜のビーズの1㎜のビーズ穴を通す決まった単純作業の反復。4つのビーズを組み上げその四角を3×3すると四角ができあがる。

点を繋げてゆく。湾曲するテグスを一定の角度でそこにあるビーズに納めて進むのだ。ビーズはテグスを待っているし一方テグスはビーズを繋ぎたく。楽しい。なんて楽しい。

昨日街へ出てふらりと入った古書店内の棚を念入りに調べていたらびっくりするようなものを見つけた。30年前の日本でのFLライト展の図録だった。千五百円。速攻購入した。

FLライトの作った建物は歪で頭がくらくらするけれど昨日図録をパラパラしながら彼の描く絵を初めて見て建築家FLライトではない、なんだか他の誰かに出会った気がした。初期のフリーハンドのドローイングはお世辞にも上手とは言えない。

彼は何故建築家になり、仰々しいお金持ちの家などを沢山建てたのだろう。魅惑的で奇妙で一目で夢中になれる不思議な景色なら重たいコンクリートで立ち上げなくともそこら中に有る。

わたしは明治村の帝国ホテルの展示以来のFLライト嫌いだったはずだが古書店の図録のドローイングを見続けていたら彼の混乱に、矛盾に、作為に満ちた反復する線の交差に魅了されていった。

とどまることなく流動する形。スクエアビーズのフラクタルを今日も増殖させようではないか。水平線の両端をテグスで繋ぐのだ。

芸術療法〜(8)反復

数日前から江戸時代の絵師若冲の図録を模写している。若冲は八百屋だったので野菜や家禽を描いた。昨日から群鶏図を描いている。たくさんの鶏の頭を赤く色付けする作業はたいへん楽しいです。

色付けは軌跡を辿るのに似ている。何も考えずに塗り絵をする。物事の操作権を放棄してただひたすらに単純な反復をするだけ。繰り返しは気楽だな。繰り返しは幼稚か。そうであれば幼稚を許されていることをしみじみ喜ばしく思うのだ。

柴山雅俊はDIDを眼差しの病理と言ったがかつてわたしはこの世界の一員になりたかった。だから周囲の眼差しの全てに対応した。そのときにはもうそれらの眼差しは眼差し以上の力を持つまでになった。わたしは眼差しの虜だった。

人間の心地よさの方位はひとりひとり異なるが日和見で矛盾した狂った方位をわたしはそうやって築いた。わたしは諦めなかった。不安定も両極端も統一した。あるときあたかも赤道のごとく屈強な横線が脳内に引かれはじめる。ここから上は赤、ここから下は黒だ。そうだけして混ざってはならない。

わたしは真にひとりであった。わたしの水先案内をしてくれる水路も磁石も自分でつくるしかなかったのだ。

脳内の圧力壁の製作は外圧からの防御ではない。わたしがそこから漏れてしまわないように。わたしの赤が枯渇してしまわないように。わたしの心のはてな素粒子が出ていってしまって帰って来ないことの無いように。宇宙的数字に膨れ上がる素粒子たちの打ち返すその反復に耐えられるだけの強い圧力壁は、そんな感じでわたしの心の奥のほうにつくられた。

芸術療法〜(7)水色

わたしは何を求めて生きてきたのだろうか。わたしと外の世界を隔てる膜を通して、わたしはいったい何を見ていたのだろう。

一般的にDID患者は疎隔で離人、同一性が混乱しているとされる。しかしながら思い返してみればそれもこれも皆全ては一方的なわたしの側の物語なのだ。

それははじめ何かがずれて見えていた。それは一本の線の歪みに似た景色であった。その膜がわたしを護っていることが駆けだしたばかりのわたしの脳が見落とした一瞬。内と外の温度差にわたしは苛ついた。それは僅かな誤差である。そしてそれは何処にでもあるあらゆるものの存在の揺らぎである。

噛み合わない歯車にいらいらした拙い心が遮二無二に救済を求める。わたしは強かったのかもしれない。手折ってきたタンポポはやがて萎れてゆくけれどわたしはあきらめなかった。

誰でもいい。萎れていかない温かさのお手本が欲しかった。人間というテキストを見たかった。傍を通り掛かりふと存在に気付いて呉れ、ああ其処に居たのかと会釈してくれれば。わたしもそんなやり取りを習得出来たと。

ケミカルレースの余白を丁寧に塗る。水色で塗る。

そこには何も無い。膜の外。何も無い空間の世界をわたしはとっておきの水色で彩るのだ。

芸術療法〜(6)余白

プラウエンのケミカルレースはじっさいは刺繍作品で花も蔓も機械が描いている。ランダムに見えてもそこには法則性がある。酷く複雑な模様を謎解きしながら描いている。

ぱっと見は味気の無い冷めたような工業製品が安心なのはそれが決められた線で描かれた決められた顔の花たちだからだ。

花たちはみな一様に俯き加減。しかし立ち上がる花びらはそんなに柔ではなくポーズを決めて魅せる。次の段、花たちは一列に行儀よく斜め上を見ては首をかしげる。左右非対称の薄っぺらい花弁が風を受けて歪な弧を描く。ここは向かい風か?まるでラインダンス。脳内に刺繍針の軽快な機械音が響き渡る。

ペンと紙とわたし。線を繋げる、ただそれだけ。花たちはわたしに向かって微笑んだり憂いたり。花を描くことが愉しい。

ペンを置き、わたしは色鉛筆で色を塗った。花を塗り蔓を塗り手を止めた。少し考えて別の色を塗る。溶かして消えてしまう糸と糸のあいだのそこは余白だったのだけれど。

芸術療法〜⑸作為

人は何故絵を描いたり彫刻を拵えたりするのだろう。わたしは日常絵を描きたいという衝動を感じたことが皆無で絵画を鑑賞するべく出掛けていくこともなるべく避けて暮らしていた。

優れた絵画や彫刻作品からは作り手のエナジーが発せられている、という評価をする人がいる。そもそも芸術療法という概念もそうした解釈で成り立つセラピーだ。

DID患者の発する表象のひとつが世でいうところの芸術家然としている場合を除き、DID患者の表現は100%作為である。DID患者のわたしはたとえ思いつきの散文を書いたときにもまるで小説を書いているかのような薄気味悪さを拭いきれなかったし、無意識に自分の表現に作為の証拠を探す衝動が止まなかった。

作為を英語で言うと日本語的には不満が残る。作為とはランダムではないわざとらしさ。作為は英語ではアクトであるがアクティングアウトとは医療用語では精神病患者の言葉未満の心身症状である。違いますかね。

芸術療法を論じるこのわたしの言葉たちもまたわたしという脳内の作為に汚されている。

この数日ドイツプラウエンのケミカルレースをフリーハンドで描く作業に猛烈にやりがいを感じている。プラウエン地方のケミカルレースは1900年のパリ万博で世に知らしめたアール・ヌーヴォー(ドイツではユーゲント・シュティール)のその世界の片隅にいた。

この紋の起源はおそらくは何か植物の花弁で、モチーフを繋ぐ一本一本の細い線は蔓か、もしくは蜘蛛の糸に見えなくもない。

ケミカルレースは100%の作為であり、みも美しい工芸作品であり、わたしの脳内を魅了して止まない。フリーハンドで描く工芸の模写。

DID患者で作為で、と自分自身を貶めていた現実をありのまま認めたい。今後もそれで生きていくしそれしか出来なくてなんの不足か。たかが文章だ。

自分を許すことのなんと難しい。己を容赦することを単一に無様とした感性のきつく詰まった世界が解けていく。プラウエンの切手の図案のひとすじひとすじ。花弁を蜘蛛の糸で繋げている。

芸術療法〜⑷題目

お気に入りの何枚もの古切手は全て友人から貰ったものだが、眺めていて心地よいそれら小さな切手の図案は絵画のようだ。1枚1枚切手の模写する。そんなやり方の美術鑑賞である。

わたしの親たちは絵画鑑賞が好きで裕福になり先ず購入したものは世界美術大全という分厚い図録であった。そしてわたしはその図録をどれだけ眺めてもああこれはいいなと思えるものには1枚も出会えない。

親をがっかりさせてはならぬという判断がわたしの美術鑑賞へのアプローチを歪んだものにした。多大な賞賛を受けた作品は素晴らしい、いつの日かこれらを鑑賞する資格と能力が備わるはずだとわたしは信じた。わたしはあきらめなかった。

ヒトはひとたびその心に嘘を抱え込むならじわじわとすすむ脳の劣化を免れない。あるときわたしは美術館の展覧会で絵画を眺めていた。わたしは目眩と吐き気に見舞われた。誰か教えて欲しい、どこを見ればいい、何を考えれば感動はやってくる。わたしは誰構わず尋ねたい衝動に駆られていた。

題目は英語ではsubjectだがこの言葉には「落ちてくるもの」という意味合いがある。

絵画の価値や審美眼の有る無しを論じるつもりは無く、ただ言いたいことはわたしは長いあいだ待っていた。わたしに落ちてくるなにかを待っていたということである。

この数日ドイツのケミカルレースのシリーズを模写している。切手はチェコの国境近くのプラウエンの伝統工芸で1973年のものであるが、もちろんケミカルレースという分類やそれがドイツのものであるということも当初は全く知らずになんかいいなと眺めていた。

ケミカルレースの模写の直前にサンマリノ共和国の切手の麦の穂を描いていた。豊かに実った歩留まりの良いパン小麦。小麦の一粒一粒を楽しく描いた。まるで畑で収穫された小麦がわたしにパラパラと降り注ぐようだった。ようやく落ちてきた。待ち望んでいた。それはおそらくは初めてわたしに落ちてきた絵画なるものの題目だった。

芸術療法〜⑶嘘

いくつかの心を動かされる絵画や彫刻作品をじっくり鑑賞するとそれが痕跡や傷跡に似たものを発しているように思えることがある。それはただ単にわたしはそうした分野の作品に心を動かされる傾向を持っているという事実である。

白い紙に万年筆でジーっと線を描く。未だに模写だけを描くという習性を持つわたしは、自分の引いたその線が当たりか否かを瞬時に判断し、違うな、これは違うとなれば万年筆はホワイトインクで消すしかないので修正はじっさい手間である。

消しゴムで消えやすい柔らかい鉛筆の描く線はたいてい太くて正誤の見極めがし辛い。それでどうにか消しゴムで消せる硬い芯のシャープペンで細い線を描き、その上から万年筆でペン入れをする。複雑な図案の線画を描き進む。完成。切手等の模写は拡大しながら描き進む。完成してもこれはなんかどこか違うなという気味悪さが付き纏う。

1日数枚の古い使用済み切手を模写している。切手は楽しい。国や地域によってデザインに作風がある。切手は風が吹いたらパラリと飛んでゆくよな紙片である。しかしおそらくはこうして切手として印刷され販売されるまでには幾人もの人手が加わっているのだと考えるとそれはとても興味深い。

昨日わたしはシャープペンで完成した下書きを一旦全て消しゴムで消して何もない白い紙にした。そろりそろり慎重にシャープペンの下書き線をなぞるのがどうにも苛々したのだ。脳内の下書き記憶の痕跡を辿りつつ白い紙に万年筆でさっさと描き進むのは爽快である。

こんなに毎日絵を描くのは生まれて初めてのことかもしれない。日々模写の反復を続けていると脳内の緊張や集中が薄まりゆく心地よさがあった。天才でもない限り一発で嘘のない線を引き当てることなど出来ないという言い訳も湧いてきた。

昨日は魚を描いた。切手はポーランドのもので魚は鯉であった。魚を描くのは2匹目で、数日前に昭和の日本の切手の赤い金魚を描いた。

ポーランドの切手の鯉はその顔に歌舞伎役者風ペイント模様があり、わたしはひとすじひとすじにかつてない緊張を覚えた。この紋様のこのラインの角度の違いはこの魚の顔となるからだ。

鯉を描きながら数日前に描いた金魚を見る。もしもこの2匹を同じ水槽に入れたとして金魚はこの鯉を見るだろうか。初対面の鯉の印象はどんなものか。そんな馬鹿なことを考えてひとり苦笑する。

仕上がった鯉は屈強な印象の野性味に満ちた鯉。ポーランドの鯉など見たことはない。統一感に乱れはないが逆にまとまりが過ぎてそこら辺は嘘っぽく見えた。もう色も塗り終えてやり直しは出来ない。

もっとやり直したかったのは金魚の方だ。昭和の日本の金魚はポーランドの鯉と同じくらい強い魚に見えた。これは違う。昭和の日本の金魚の儚さや可愛さがまるで無いよなあ。

いつしかわたしは一本の線の正誤からは遠くかけ離れた世界にいた。わたしは金魚であり、すっかり金魚の気持ちになっていたのだ。ねえ描き直してよという昭和の金魚の声を聞いたのだ。