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解離性同一性障害の当事者の記録

主観的な、DID患者としての日々の徒然です

芸術療法〜(31)海

海に入る。砂浜を水平線へ。じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ。しばらく歩く。潮の引いた海は至る所くるぶしほどの浅瀬ではあるが、前方も後方も確かにそこは海であり、右も左もそれは海であった。

わたしは足元の水面の揺らぎを見た。水面は揺れていた。不均一に多方向に。揺れては打ち合いぶつかっては広がった。さざなみは発展し進行した。それは掴み所なく。そして伸びやかに。

後ろはどうだ。わたしの後方の浅瀬もまた、そこは一面の水の紋である。よく見ると紋は連動している。はじめは小さな紋様が進むにつれて大きな紋様になる。水は育っているのか。それとも薄まってゆくのか。

水の紋がわたしの両くるぶしをぐるりと取り囲んでいた。いったい誰がこんなふうに海を揺らしているのかと、そんなことを考えながら耳をすまして風の音を聴いてみる。わたしは風を感じた。気がつけば風もまたわたしを包んでいたのである。

芸術療法〜(30)胡瓜

わたしは胡瓜がとても好きなので胡瓜を買った日は胡瓜のことをしばらく考えている。何故自分がこんなにも胡瓜が好きなのだろうということや、胡瓜ってどうしてこんなに美味しいんだろうとかそういうことです。

10年以上前のことだがわたしには胡瓜嫌いの友人がいた。彼女は胡瓜と西瓜が苦手であった。胡瓜は駄目よ。わたしは今でも胡瓜を見るとそんな風に言っていた彼女の困った顔を思い出す。

不思議なことだがたとえ彼女がどれだけ胡瓜を否定していたとしてもわたしの彼女への信頼と彼女との絆は揺らがなかった。少なくともわたしはそう感じていた。

彼女のためにご飯を作るとき、わたしは念入りに胡瓜を排除することにやぶさかでなかった。わたしは胡瓜も好きだが彼女のことも好きだったのだ。

今日はふと考えた。果たして彼女はわたしのことをどう思っていたのだろう。わたしは彼女の困った顔を見ながら自分だけ胡瓜のサンドイッチをニコニコと食べていたりした。おそらくあのとき彼女は胡瓜好きのわたしに嫌悪を抱いていたに違いない。

わたしは無作法だった。わたしは胡瓜を優先したのだ。あのとき胡瓜よりも彼女を大切にすべきだっただろうか。

今日は'胡瓜のキューちゃん'の作り方を読んでいる。3ヶ月も胡瓜を塩漬けにするやり方や4回茹でこぼすやり方など'胡瓜のキューちゃん'を作るには結構胡瓜を酷い目に遭わせるようだ。

ねえねえどうして胡瓜が嫌いなの?わたしは純粋に疑問を感じて胡瓜嫌いの彼女にそんな風に尋ねたことがある。そのときに彼女がなんと答えたのかを今は全く思い出せない。では果たして彼女は'胡瓜のキューちゃん'も嫌いなのだろうか。

きっと食べないだろう。彼女はストイックな人だった。そして自分の心に正直な人だった。周囲の人々に大人気ないとされようとも自分の皿に胡瓜が混ざってやしないかをチェックせずには居られない。彼女はそんな一生懸命な人だった。そういうところ。わたしは彼女のそういうところが好きだったのだ。

芸術療法〜(29)遠吠え

狼の遠吠えみたいにやってみようか。声楽教師が言った。やってみる。1発目は失敗。二投目やや良し。狼オオカミおおかみ。念じながら吠えてみる。なんとなくこれは遠吠えである。吠えることのなんと気持ち良いこと。

熊の足跡と爪痕で腰を抜かしたわたしは何故だか以前のように歌うことが出来なくなってしまった。声楽教師は言う。

なんていうか歌うってさ、特別なことじゃないわけ。息吸って吐いて、また吸ってまた吐いてさ。そういうのにただ声を乗せてね、こう遠くに飛ばしてるわけよ。おーい聴こえてるか、ってね。

鼻で息吸える?そう鼻で。鼻で吸うと息が背中の方に入るでしょう。あのさ、ひだりの鼻の穴で吸ってみて。左だけ。なんでかは知らないんだけどひたりの鼻の穴で息を吸うとリラックスするようにヒトのカラダが出来てるらしいんだ。可笑しいはなしだよね。

まだ背中痛い?一回インナーマッスル遣っちゃうと直ぐには元に戻らないよ。いいよ無理しない無理しない。思ってたより声出るようになったでしょう。大丈夫直ぐ戻るよ。

あのさ、これからもこうやってああ前もこういうことあったな、っていう場所に戻ることがあるかもしれないんだけど、例えば6年生になったのにまた3年生に戻っちゃった、みたいにがっかりしないって約束ね。マミちゃん出来るよね。頑張ろう。そうそう基礎トレだよ。

今日帰ったらYouTubeで誰かが歌を歌ってるやつ、他のヒトが歌を歌ってる動画観て真似してみて。観れない?なんでよ。‥‥そうか、気になるか、そうそう顔とかね、ドレスとかね笑。確かにイラっとくるやつ多いもんなあ笑。

声楽教師は哀しげに俯いた。いろいろいろいろ。わたしは目に涙が滲んだ。果たしてわたしは再びわたしの歌を取り戻せるのだろうか。歌うたいへの道のりは遠い。俺の遠吠えがいったい何処の誰に届くというのか。歌うことになんの意義があるというのか。

芸術療法〜(28)人形を作る

大量のワイヤーを頂いたのでワイヤーを骨にした人形を作った。昨日は這い熊を作った。這い熊というのは四つ足で踏ん張る野性味のある熊のデザインのことで、木彫りの熊デザインのひとつ。

最初に作ったのは二足歩行をする兎の人形だが大きな蝶ネクタイを付けてニッカボッカをはいているから厳密には骨格は兎ではなくヒトである。顔の2倍以上の大きさの耳を頭のてっぺんに載せた。

この奇妙なバニーを作るのは大変楽しい作業だった。肩幅はこれくらい、膝下と踵。何も考えなくよい。何しろ鏡で自分の顔を見るより多くの回数わたしはこのバニーを脳内で目撃しているのだ。

ワイヤーで作った肋骨の輪郭にアルミ箔を載せて手でぎゅっと押してワイヤーとアルミ箔を密着させ、そうして出来た面に塊の紙粘土を大胆に貼ってゆく。腕と脚は極細だけれどお尻はふんわりとさせる。

松竹座の役者が大見得を切るときのように威張っている姿勢で完成させた。もう一体作ろう。作り始めは細いワイヤーを緩く縒り合わせる作業が続く。縒り合わせたワイヤーは自然なカーブを描いてくれる。

紙粘土を付ける前にわたしはまたしてもワイヤーを縒り始める。もう一体作ろう。今度は少し小さめ。幼かったころのこのバニーを作りたくなった。耳も小さめ、手脚も若干短く。小さな体にあつらえた子ども用のニッカボッカを履かせる。

紙粘土を付ける前のワイヤーバニーたちにいろんなポーズを取らせてiPhoneで写真を撮る。楽しいではないか。木彫に比べワイヤーと紙粘土の人形作りはなんだか気楽な雰囲気である。

力つき眠った翌朝目覚めるとワイヤーバニーたちが壁で踊っていた。アートだ、これはアートだと主人がピンで貼ってくれたようである。そういうわけでワイヤー這い熊君を作ったのだが何も無かった壁が賑やかになった。踊るバニーと熊人形である。

芸術療法〜(27)眉(まゆ)

街角で、雑誌で、わたしは人の眉を見る。濃い眉、薄い眉。厳しい眉、優しい眉。眼のすぐ上にあって凛々しく眼球と連動して働く眉があり、おでこの真ん中で堂々と顔の1パーツとして独立を果たして、何事にも動じない眉がある。

四国の徳島には眉山という名の山があるという。眉のような山だという。山が眉に似ているとはいったい。眉山は壮大なる眉である。いつか眉山を見てみたい。

毎日毎朝鏡を見ては自分の眉毛を描く。太めの色鉛筆のようなもので薄くぼんやりと色を付けるように描くときもあれば、細い筆の先で一筋の鋭利な線を引くときもある。黒から薄茶まで色もいろいろ。

厳密には眉毛を描くのではない。自前の眉毛を整えているのだ。行き場に迷っている。季節を失った箱庭の雑草のような、わたしの眉はそんなである。それでも加齢でハリのない冴えない顔付きを当て所なく飾る。わたしの眉である。

それでいいさ、可笑しなままさと脳の声に応じてみる。眉はいったい何のためにあるのだろうとかそんなことも考える。そして今日は眉尻の眉毛の先をカットした。すると顔が何処と無くきっぱりとなった。きっぱり。何とはなしそこには強い風が吹いているような顔になったように思ったりして。

芸術療法〜(26)脱力

春の林道を1時間ほど走る。斜面に作られた段々をテンポ良く降りる。右左右左。左右に体をふりながら飛び上がっては脱力して降りる。ダンシン。思わず浮かれる。

僕のォうちの牛もォ、君のォうちの豚もォ、らららお洒落してェ、ららら踊ってるゥ。藤山一郎の'ビヤ樽ポルカ'を歌う。なんだそりゃと同行の友人が笑う。その昔藤山一郎は学生時代に学校にバレないよう偽名でデビューしたという。

そのとき友人がこれはなんだと言った。躍りながら降りた段々をもう一度登り、わたしは友人が指差した地面を見た。一本の木の周りの土が重機かなにかで荒らしたかのように生々しく掘り返されていた。

重機でしょ。この辺りを伐採したんでは?わたしはそう言って再び牛と豚の唄に戻って段々を脱力しながら降りた。少し遅れて友人が降りて来る。県道に出た。その朝いつもより一層友人は口数が少なく辻で我々は別れた。

その夜友人から写メ。友人はだいぶ調査したらしい。我々が見たのは蹤いたばかりのツキノワグマの足跡であった。その夜半の春の嵐は翌日には晴れて正午すぎ我々はもう一度林道を探索、足跡は激しい雨嵐で消し去られていたが林道傍の木に荒々しく刻まれたツキノワグマの爪痕をiPhoneで写真に撮りその足で自然公園の詰所へと出向く。

3人の作業服姿の市職の人たちが我々も林道を調査します、ありがとうございましたと頭を下げる。ひとりの男性がわたしに言った。熊は穴を掘りますか?わたしは少し考えて掘りませんね、と言った。

この数年ドングリの豊作が続いている。どうやらツキノワグマは増えているようだ。帰宅後、熊を撃つのかあいつらは撃つのかと脳内が騒がしかった。頭と体の緊張がなかなか去らない。脱力を、脱力をしなければ。

翌日内科のクリニックで痛み止めを処方してもらうことにした。あのうじつは大変なことがあって体があちこち痛くなって。どうしたの?ランニング中に熊の足跡と爪痕を見ちゃったんです。うへえ、怖いなあ。ドクターが軽口で返したそのときわたしは再び緊張が高まった。

‥‥良い熊だっているんですよ、山のものを、良いものだけを食べている、良い熊の証拠としての、良い糞があの林道で見つかりさえすれば‥‥。ドクターがキーボードを打つのを手を止めてゆっくりとわたしを振り返った。

カロナール他いつもの処方剤をカウンターで受け取り帰宅。ソファーになだれ込む。ようやく訪れた脱力であった。

芸術療法〜(25)気象

天気図というものがある。ラジオから流れる数字を一覧表にせっせと記載する。終わったらそれを地図に記してゆく。風向は音符の羽根みたいなやつで風力気圧は数字をそのまま書く。

等圧線は大体この辺りかなというところにフリーハンドで緩やかな線を描く。こんな感じですか。わたしが提出した天気図を理解の教員はとても褒めてくれ、わたしはそれが嬉しかったのか天気図を描くのに夢中になった。

等圧線と等高線はすごく似ているが等高線と違い等圧線が示した高い低いは空を眺めてもまるで見えない。前線を描く。ここは嵐になりますよ、という三角のギザギザの線である。やはり前線も天気図上の印である。わたしはまだ空に前線を見たことがない。

思いつくまま、白い便箋にオリジナルで模様を描く。ある日それがいつかの等圧線にそっくりだと気付いた。北北東に若干張り出し気味の曲線が緩やかに南下し真南で何かを吐き出す。方向転換。南西に掛けて大きく湾曲した線はすごく自然に始まりの地点で合流する。

ここは風が吹いている。ここで急に温まって雲が発生する。重い線。速い線。わたしは空を見上げる。空には何も見えないが気象が存在しているとはなんと不思議な。白い便箋の万年筆の渦巻きは実は風と雲なんである。

芸術療法〜(24)顔

最近自分の顔を鏡で見ることが増えた。わたしは発声が暗いらしい。もっと明るいアの音を、イはイーとハッキリと。友人の声楽教師は鏡を見ながらやってみてと言った。

鏡の中には不自然に口角を上げた志村けんみたいな人がいた。そうじゃない、顎を引くの、友人が言う。そうそれから肩の力を抜くの、それでイーって言ってみて。言われた通りにやってみるのだが声などひとつも出ない。

顔を作ることと声を出すことが両立出来ない。耐えきれなくて目を閉じてイー。ううん違うの、首に筋を立てないで、ねえ鏡をちゃんと見て、肩甲骨に窪みが出来てる。鶏じゃないんだから。

友人も必死だがわたしは何を間違ったのか。やればやるほど正しい顔というものからは遠ざかっていくように思えた。

真面目なわたしは帰宅後も顔を作ることに熱心だった。iPhoneで自撮りをする。少しでもいい顔だと思えたら撮る。何枚も撮った。なかなか良い。悪くない。何枚かの自撮りを娘にLINEした。すると娘の1人はわたしの自慢のアルカイックスマイルを人をひとり殺してきたような顔だと言った。

気を取り直してわたしは自撮りを続けた。殺してない、そう声に出してみる。あたし誰も殺してない。すると肩の力がすっと抜けた。殺してないかそれは本当か?首の筋が消え口角はさらに上がった。これ怖い顔やけどこれがきっとあたしの顔。わたしはちょっと嬉しかった。

芸術療法〜(23)降り積もる

友人が一緒に窯巡りに行こうと言った。窯はパン焼き窯ではなく器の方だった。友人は織部焼が好きでわたしも作家の失敗作だという織部焼の鉢をひとつだけ持っている。

織部焼のことは何も知らなかった。織部焼のあの独特の緑色やちょいちょいと金釘に描いた鳥文様を眺めていた。気になって調べてみたら織部焼の織部とは戦国時代の武将の名前だった。織部さんは織部なにがしではなく古田織部といった。織部というのはファーストネームだったのだ。

古田織部は40歳で茶の湯デビュー。遅咲きのアーチストである。しかし本職はお武家様なのだ。関ヶ原では東軍であったが夏の陣では豊臣の密告者として切腹をした。

織部焼は種類が豊富。青織部などは北大路魯山人も使った。青織部とな。織部は緑色のはず。あれこれ調べたところモダン織部なる皿を見た。白い皿にキウィソースのように緑の雫がランダムに垂れていた。

古田家は断絶したが織部焼は復刻した。今日スタンダードとされる瀬戸物の釉薬をいくつか眺めている。ハングリーで反骨な黄瀬戸や古瀬戸、モダンな志野と織部、イマイチよくわからない御深井(おふけ)。

先日友人と共に愛知県瀬戸市赤津地区へと出向いた。窯巡りの下見である。わたしの脳内に容赦なく降り積もる色と形。ミスター織部が生きていたら。降り積もるイメージ。釉薬の液溜まりが光を含んで美しく輝いた。

芸術療法〜(22)青色

浮世絵の刷り師たちは紺が高価だったのでオランダからの輸入の鉱物の青を用いたという。浮世絵は日本ではありふれた紙切れだったがある日浮世絵が割れ物の緩衝材として荷物に詰められていた。それはくしゃくしゃに丸められていた。浮世絵はいわば漫画のような線画である。そのフランス人は浮世絵を丁寧に広げて長いあいだ眺めた。

青色が好きで色鉛筆の青がすごく減る。子ども時代群青色という呼び名を覚え一日中群青色群青色と言って歩いていた。群青はその色と呼び名の響きがピッタリ合っていた。

縹(はなだ)色という色を覚えたのは大人になり草木染めを教えてもらったときだった。薄い青色は陽に当たるたびに退色した。縹というその青は誰の言葉も聞かずひたすら消えてゆこうとする青だった。

初めて海に潜ったときの海中も青かった。そこは洞窟の中だったのでそれは空を映している青ではなく水温が低くプランクトンが少ない特殊な海の青だ。マリンブルーはわたしの手や体が染まりそうな青だ。

背景として塗るときの空の青は明度が高く彩度は低い。空色と青空では言葉の持つ色の印象が少し違う。青空。青空。わたしの青空貴方の青空。空の青というものはじっさいに空を見上げなくてもいい。目を閉じてもそこにある青だ。